migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

戦国無頼 1952年 日本東宝

戦国無頼 1952年 日本🇯🇵東宝

🍅🍅

 

○あらすじ

天正元年、織田信長の大軍に包囲されて、浅井長政小谷城が陥ちたとき、その家臣で風雲の志をもった佐々木疾風之介、立花十郎太、鏡弥平次の三人の武士には、異った運命が待っていた。十郎太は疾風之介の恋人加乃を托されて信濃におち、二君に仕えずの気持から討死を覚悟で敵陣へ斬り込んだ疾風之介も弥平次も離れ離れなってしまった。疾風は深傷を負って倒れているのを野武士の藤十の娘おりょうに助けられた。おりょうは疾風に想いを寄せ、その小屋へ忍んで行った。これを知って斬りかかった藤十を疾風は心ならずも刺して逃げた。弥平次も生き永らえて海賊になっていたが、ある日子分の連れて来たおりょうを救った。一方十郎太は、加乃と共に研師惣治の家に厄介になっていたが、次第に加乃への思慕と共に功名心をつのらせ、かつての敵方織田家へ仕えた。」映画.com

 

Wikipedia

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○監督 稲垣浩

 

○特筆スタッフ

 

○出演

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佐々疾風之介:三船敏郎

立花十郎太:三國連太郎

鏡弥平次:市川段四郎

 

○ワード & シーン

疾風は一緒に居てもいつも遠い雲を見ている。

会うのは会いたくない奴ばかり

 

○総評

この映画は、僕は黒澤明の映画だと思って選んだ。ところが、稲垣浩の映画だった。黒澤明は脚本を書いただけ?であった。この作品の最大の問題点は正にここである。登場人物の3人のキャスティングが余りにも「無頼」なのだ。

①佐々疾風之介:三船敏郎

②立花十郎太:三國連太郎

③鏡弥平次:市川段四郎

一体彼等はどの様にこの戦国を生きて、死んで行こうとしているのかさっぱりわからない。もしかしたら、この作品を作っている、稲垣浩黒澤明自体がバラバラなのかも知れない。大体、映画の題名を見て欲しい。「戦国無頼」である。ポスターを見てほしい。ポスターの中心が虚ろに無頼である。

 

無頼とは

「[名・形動]

正業に就かず、無法な行いをすること。また、そのさまや、そのような人。「無頼な(の)輩やから」

2 頼みにするところのないこと。

単孤―の独人になりて」〈十訓抄・二〉」コトバンク

 

言葉どうりの映画なのだ。3人の主人公の何を頼りに映画を観るべきかわからない。もしかして、「戦国無頼」と言う題名すら、黒澤のウィットに見えてくる。この2人の不仲説はない様であるが、これだけの大監督2人に何があったのだろうか?

ところで、この映画レビューは「極私的」を売り物にしているので、極私的に僕の悲劇を振り返る。

僕は大学で、映画サークルに居て、自主制作の8ミリ映画をニ本撮った。一本目は「男の蜜」と言うホモを題材にした短編映画だった。これは自分で役者以外何もかも行い、ジャニーズ報道にレアリズモで負けるが一本目にしてはよく出来た映画だったと思っている。

二本目は、「おつう」と言う30分くらいの映画で、監督は僕の大学の後輩が行い僕は脚本をやった。千葉成東海岸で、ロケハンまで行った。そして結果的にこの映画は「無頼」だった。1人の男優と3人の女優に参加してもらい小泉八雲の原作を元に作った映画だが、最終的に僕の気が小さく、NHKに就職した後輩の押しが強く、何とも言いがたい無頼な映画になってしまった。僕は映画で身を立てるのは諦め、東南アジアの某国に飛んだ。自分のがの弱さにはつくづくウンザリする。

今思い出すと、あの頃のトラウマが蘇る。

あの頃の弱い自分がまるで疾風の様に蘇る。

 

合掌

大樹の歌 1959年 インド

大樹の歌 1959年 インド🇮🇳

🍅🍅🍅🍅

 

○立ち位置

「サタジット・レイのオプー・シリーズ完結篇。第一部「大地のうた」では主人公オプーの出生から少年期を、第二部「大河のうた」では両親を失くしたオプーが学業を終え自立するまでを、この第三部ではオプーが結婚して子供を生み、育てる過程を描く。」movie walkers

 

○あらすじ

「肉親のことごとくを失って身寄りのなくなったオプー(S・チャッテルジーカルカッタの粗末なアパートに住み毎日職さがしにかけずり廻っていたが、思うように仕事は見つからなかった。部屋代はたまり、満足な食事にもありつけない始末だったが、暇をみては自伝的な小説を書きながら作家として立つ日を夢見ていた。ある日、親友のプルー(S・ムカージー)が訪ねてきて、彼を故郷のクルナに誘った。プルーは従妹のオプルナ(S・タゴール)の結婚式へ参列するため帰郷するのである。クルナは豊饒な美しい土地、と聞いていたのでオプーも同行することにした。」

movie walkers

 

Wikipedia

 

物語の舞台クルナとは

西ベンガル州/ウェストベンガル州(にしベンガルしゅう/ウェストベンガルしゅう、ベンガル語: পশ্চিম বঙ্গ(Pôščim Bôngô)、英語: West Bengal)は、インド東部の州都コルカタ公用語ンガル語。面積8万8752km2、人口9,134万人(2011年)」Wikipedia

 

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インドの公用語とは

「インドには、色々な人々の集団があると共に、それらの人々が話す多様な言語がある。少なくとも30の異なる言語があり、全体で、2000前後の方言が知られている。」Wikipedia

 

インドが独立したのはいつ?

「75年前の1947年8月15日、イギリスの植民地だったインド帝国が解体し、インドはイギリスから独立しました。 もともとインド帝国は現在のインドだけでなくパキスタンバングラデシュなどを含む広大な国でした。

【8月15日は何の日】75年前、インドがイギリスから独立 - ツギノジダイsmbiz.asahi.com › article

 

最初のシーンの「革命」とは

「革命社会党(英:Revolutionary Socialist Party, RSP)はインド左翼政党1940年インド国民会議の左派である会議派社会党から分離して創設された。マルクス・レーニン主義を掲げるものの、スターリン一国社会主義論には批判的であった。しかしトロツキズムにも賛同せず、独自の政治姿勢を採った。

現在は西ベンガル州などに地盤を有し、共産党主導の左翼戦線に参加している。ローク・サバー(インド連邦下院)には1議席(2019年5月時点)を有し、西ベンガル州議会には17議席を有して左翼州政権連立与党となっている。」Wikipedia

 

○ネタバレ

 

○所感

既に「大地の歌」は見た。「大河の歌」はまだ見ていない。そしてこれは第三作目、「大樹の歌 」である。(大が3つ、間違え安いので注意して下さい)これもいい映画だ。この「大樹のうた」も「大地のうた」に勝るとも劣らない良い作品だ。「大地のうた」が主人公オプーの幼少時を描いているのに対し、「大樹の歌」は学生を終え眼鏡をかけた、社会人のオプーが描かれている。彼は作家も志しているようだ。

映像の白黒の陰影は、以前の「大地の歌」より濃く薄暗い、オプーの置かれている現実の厳しさを投射している。カルカッタの操車場の側のアパートは、小さく汚いが、オプーはそこに染まって黒く濃くなったみたいだ。

最初から気になるのは、ベンガル語のテロップ、映画の言語もベンガル語である。映画の最初の表記で、オープニングクレジット 、タイトルロールなどに踊るこの文字は、サンスクリット文字とは違う。何処か東南アジアの香りすらする。

僕は、インド語と言うのはてっきりサンスクリット語がメインだと思っていたが、上述のWikipediaのコーナーを見れば分かる様に30の言語、2000の方言。どうりで、結局のところ英語が公用語になり、英語が喋れない人は外国人の前では、無口になるわけだ。しかも、この映画の舞台は、インドの南東部、バングラデシュ🇧🇩との国境である。僕はインド南部、バンガロールにしか行かなかったが、英語が喋れない人はコミュニケーション出来なくて寂しく歯痒い思い出がある。女性に至っては姿を見るのも稀だった。

オプーが、結婚をするつもりもなく出かけていったクルナ。Wikipediaで調べると寧ろ、バングラデシュのクルナが出てきて、あれ?この映画はインド映画だよな、バングラデシュ映画じゃないよな、と思わず確認してしまった程である。

結婚式に呼ばれた家で、新郎が狂い結婚式そのものが中止になると言う、何とも奇抜なストーリー。でもそんな事もあるよなと、思わせてしまうのが、インドの文化の魅力で、人によってはインドを厭うところなのだろう。僕もその厭いの1人であったが、今思えば、出張の時、もっと外に出れば良かったと後悔している。

ベンガルと言う土地、言葉、音楽、1番最初のところで出て来る革社会党等、掘り起こせば掘り起こすほど深い映画だ。

 

○特筆スタッフ

 

音楽 Ravi Shankar 

「ラヴィ・シャンカル (ヒンディー語: रवि शंकर、英語: Ravi Shankar、1920年4月7日 - 2012年12月11日)は、インドシタール奏者。イギリス領インド帝国(現:インド)、ヴァーラーナシー生まれ。ラヴィ・シャンカー、ラビ・シャンカールなどの表記もある。

ジャズ歌手ノラ・ジョーンズと、シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカル英語版)は異母姉妹で、娘である。また、ともに60歳前後で授かった子であるため、祖父と孫のように見られることが多い」Wikipedia

 

○監督 サタジット・レイ

 

○出演

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○オプー:ショウミットロ・チャテルジー

主人公。作家であり、貧乏人である。大地の歌であの小さかった、浅黒い目だけがやたらと大きなあの純粋な少年である。作家としての彼は、周りも大いに期待しているのだが、当時のベンガルの政治状況がそれを許さず、彼は首都カルカッタに行く。その彼を自分の田舎に呼び戻したのが友人オプルナであった。で正しいかな?

 

○オプルナ:シャルミラ・タゴール

オプーもそうだが、オプルナも見るからにインテリ。僕はこんなインド人🇮🇳に、何度遭遇したか知れない。オプルナは彼の家の結婚式にオプーを招待した。そして、その新郎が突然気が狂った。(或いは以前からか?)新婦のプルーは、ある期間に¥   オプーに白羽の矢が立つ。

 

○プルー:スワパン・ムカージ

目が顔の三分の一を支配する、これを美人と呼ぶには何か恐れ多い、神がかった女性。未だ10代であろう。彼女とオプーの会話が面白い。性的な表現は全く無く、会話に滲むかかあ殿下が素敵だ。彼女を怒らせると出る口癖。「リアリアリ 2度と話す事は無い」

 

○カジュル:アロク・チャクラバルティ

オプーとプルーの間に生まれた男の子。

これ以上はネタバレになるので辞める。

 

○ワードorシーン

〜インド的問答

カルカッタの操車場とクルナと言う素朴な村

〜「アリアリアリ 2度と話す事は無い」

〜カメラワーク

〜事故に遭う牛

〜「カジャルが生きているからオプルナは生きていない」

 

○総評

僕は、すっかりインド映画にやられてしまった。この後、インドの民族音楽を聴いてみた。この音楽を聴きながら、病院の食事を摂ると、心はすっかりマハラジャである。

 

マハラジャとは

「マハーラージャあるいはマハーラージャー(サンスクリット語: महाराज、Mahārāja、Maharajah)は、「偉大な王」、「高位の王」を意味するサンスクリット語の称号[1]。」Wikipedia

 

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プドゥッコーッタイ藩王国のマハーラージャのダルバール宮廷)、イギリス人の役人の姿も見える。」Wikipedia

 

マハラジャって、バブルが弾ける前に流行ったディスコの名前じゃないの?なんて事を言う日本人は、僕と同じ50代後半以前、昭和30年代、40年代生まれである。そして、インド料理、カレー店の紹介番組なんかにちょくちょく使われているワードだ。でもその語源は多分これだ。僕達は、アメリカの🇺🇸文化なら大手を振って歓迎だ。でも、実は仏教を始め、結構インドの🇮🇳文化の影響を受けている事を無意識のうちに隠す。いや、隠しているんじゃないのだ。触れないのだ。何故かは知らない。

一体、東南アジアの某国にいた時、何度インド🇮🇳の悲惨な状況を聞いた事だろう?インド🇮🇳に赴任した某自動車会社の駐在員は、定期的に僕のいた東南アジアの某国に、食材の買い出しに出張で来ていた。どれだけ衛生的に酷いのかと思っていたが、実際に行くと、一度も腹を壊すような事は無かったし、料理も美味しかった。むしろインド🇮🇳のファーストフードの方が不味かった。某国のシーフードの方が余程腹を壊した。

 

¥

 

でもこの映画¥で見れば、酷いのも事実なのだ。道端で人が死んで行く国なのだ。マハラジャとの格差は、正に般若心経の境地だ。

 

話を戻すと極私的映画レビューの締めは音楽だ。本当は、淀川長治さんの記事の話で締めようと思ったがちょっと、俗物的だったので辞めておく。興味のある方はCopyright © 2023 IVC,Ltdへ。

この、大樹の歌に流れるインドの🇮🇳音楽である。

Ravi Shankar 、あのジャズ歌手ノラ・ジョーンズのお父さんである。何だろう、この曲は。静かに出しゃばらず、辺りを瞬く間にインドにしてしまう。味噌汁が、漬物が、鶏が、インドの食卓になってしまい、思わず箸を置き、手で掴もうかと思ったほどだ。

いずれにしてもこの映画は、インド映画の総力戦だ。

 

では何故この映画のトマトは4つなのか?

5つにすべきだと思うが?

いやそれは不味い。

インド好きの人なら分かっている筈だ。

良いものほど隠したくなるのだ。

触れ無いで置くのだ。

ただ、インドの極貧の人々の幸せを祈りつつ。

 

合掌


 

 
 

A Cicatriz 1976 ポーランド

 

A Cicatriz 1976 ポーランド🇵🇱

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トリコロール」三部作で知られるポーランドの巨匠クシシュトフ・キエシロフスキー監督。本作は、ドキュメンタリー監督として活躍していたキエシロフスキーによる初の劇場長編作。ポーランドの地方都市オレツコでの工場建設をめぐり、地元住民と工場運営側が対立。その狭間に立つ、オレツコ出身でありながら、工場の監督官に任命されたベトナシュの苦悩を描く。」Wikipedia

 

Wikipedia

 

スターリン死去のポーランド

スターリン死去後、反スターリン派が出没して、1956年ズナン暴動が発生したが、暴力的に鎮圧された。

同年10月31日、統一労働者党書記長に就任したゴムウカは非スターリン化の独自路線を打ち出す。スターリンの死後、東欧を支配していたスターリン主義(スターリニズム)からの脱皮とし、強制労働の廃止、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和などの改革を行う事によって解消することに貢献した。当初それを民衆は歓迎した。しかし、1968年プラハの春に対し、ソ連や東側諸国と共に軍隊を派遣した事や暴動鎮圧の手法などの点では他のソ連の衛星国の指導者達と変わりなかった。」Wikipedia

 

暴動とゴムウカの失脚

1970年12月、ゴムウカは経済悪化対策として食料品値上げを公布したが、クリスマス直前の値上げは市民による暴力的な反対運動を招き[10]、グダニスクレーニン造船所ではストライキが勃発した。 市内は暴動状態となりシチェチンなど国内各地へ波及した。同年12月17日、ツィランキェヴィチ首相は事実上の戒厳令とデモに対して発砲許可を出したことを表明。政府は暴動を「ならず者のしわざ」と位置付け[11]鎮圧に当たったポーランド軍は民衆に発砲、多数の死亡者が出た。

辞任したゴムウカの後任としてエドヴァルト・ギェレクが第一書記に就任する。ギェレクは労働者出身という触れ込みで民衆の支持を得ようとした。ギェレクは、工場整備と食料輸入を行なう事で経済回復計画とし、主にアメリカ西ドイツを中心とした西側諸国から莫大な融資を受け債務を負った。これらにより一時期は経済成長を実現したが、無計画な経済政策は急激で膨大な食品価格のインフレをまねき、これにより暴力的な抗議行動が各地に広まり多数の死者が続出、軍が出動して暴動鎮圧し終わった。このときの莫大な債務の余波は今日にまでに及ぶ。この経済成長は、1973年のエネルギー危機(オイルショックにより終了した。1976年、消費者運動政策の失敗から新価格値上げを行うが、再び暴動となり、再度暴力的に鎮圧した。[12]」Wikipedia

 

○監督 クシシュトフ・キエシロフスキー

クシシュトフ・キェシロフスキ (Krzysztof Kieślowski, 1941年6月27日 - 1996年3月13日) は、ポーランド映画監督。晩年はフランスでも活動した。」Wikipedia

 

○特筆スタッフ

 

○出演

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○言葉とシーン

大きなテスト

オレッコ化学工場

硝酸塩

工場の周り🏭塩か雪か

木 枯れている

 

○総評

この映画は面白くなかった。通常、面白く無ければ見なきゃいいじゃ無いか?と言う人もいるが、見てしまった。この映画エッセイでは、何故面白く無いのかも考えたい。そのため、上記に、Wikipediaのこの映画の時期のポーランド🇵🇱説明する記事を引用した。この共産主義体制とも、無秩序とも言い難い映画の本質がどこから来たものかは分かった。

ポーランド、僕はポーランド🇵🇱に大きな偏見を植え付けられていた。それは、その頃1997年、西ドイツ🇩🇪と言う国の人、数名からであった。場所はケルンである。この国の表面処理設備を購入するために行ったのだ。西ドイツ🇩🇪は、その後10年程して再訪したドイツ🇩🇪フランクフルトと違い、明らかに街は綺麗だった。サッカーチーム⚽️を持っており、彼等は試合を見せてくれた。そして、僕等を頻りに遊びに誘った。ポーランドに遊びに行こうと。あらゆる物価が10分の1だと言う。彼等の言う意味は正に買春の件である。

当時の西ドイツ🇩🇪は突出して、経済水準が高かったのだ。

この映画を見て思うのは、我々日本人が発展途上国を見る目、そして彼等発展途上国の知識人が逆に衒い、先回りし、自分の国を批判する寂しさである。それをこの映画に感じてしまった。

僕は、この映画はつまらないと思った。記録映画にもドキュメンタリーにもなっていない。大きな公害の問題もあったようだが、それすら訴えようという意志を感じない。

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この国の歴史を見れば分かる。この映画に当たる、ポーランド人民共和国。現在のポーランド共和国何が変わるところがあろう。何とも不可解な国。ワレサさんだけが印象に残っている。

映画の終わり方も中途半端で、辛かった。主人公のベトナシュは、一見典型的ホワイトカラー。皆が皆、彼に汚れ役を押し付けるが、そのベトナシュ自体が、受け付けない。結局、ベトナシュは何なのだ?と言う思いを抱きながら、彼の生活にズルズルと付き合ってしまう。

と言う訳で、残念な結果となった。もっとポーランド🇵🇱映画を見てみよう。

 

以上

 

 

ブンミおじさんの森 2011年 タイ

ブンミおじさんの森 2011年 タイ🇹🇭

🍅🍅🍅

 

あらすじ

「タイ北東部の集落。ジェンとトンは、重い病に冒された親戚ブンミを訪ねていた。ブンミの病状は思わしくなく、ジェンたちは仕事も含めてブンミを世話することになっていた。独り身の彼に付き添うのは、ラオス難民のジャーイ。ジャーイはブンミの透析治療を手伝い、ブンミが一番に信頼を寄せていた。

夏の夜。ブンミたちがテラスでくつろいでいると、女の幽霊が現れる。その女はブンミの亡妻フエイで、ジェンの義姉でもあった。フエイとの奇跡的な再会に、ブンミたちは夢心地になる。すると今度は、全身毛むくじゃらで赤目の怪人が家に上がり込む。さすがにジェンとトンは不気味がるが、ブンミにはその怪物が息子ブンソンだと解っていた。ブンソンも、失踪してから何十年も見つかっていなかった。」MIHO

 

○はじめに

この映画の詳細は、MIHO cinemaさんが、詳細に出演者レベルまで解説されています。なので、私は、このあたりにいたものとして、エッセイするしかありません。それをご理解願います。まず最初にこの映画の場所がよく分かりません。東北なのか、それだとラオスの人がいる納得が出来、北部だと言えば山の中だと言う印象が分かる。わざとぼかしているのかもしれない。まずは、この点が面白い。

 

○出演者

 

○ブンミ(タナパット・サイサイマー)

「タイ北部の山間に住む男性。19年前に妻と息子を失い、独り身で農場を営んでいる。温和で信心深い。腎臓病を患い、透析を付けている。」MIHO

つまり糖尿病である。タイの食料自給率は現在150%。日本は37%。日本人は、自分が豊かな国の国民だと思っているが、こと食料自給率では、タイに敵わない。私の元妻の家は、果物🍇🍎🍊の産地で、老人の相当数が糖尿病である。

 

「現在も タイは食料自給率が 150%を越えており、いかに貧困な地域であっても食料が得られずに餓 死するということはまれである。 タイの食生活の中心となっているのは米である。 米は主食であり、ご飯として食べられる ほか、米麺や米粉に加工され、惣菜および菓子としても消費されている。

https://www.maff.go.jp › thai0PDF」

タ イ 編 - 農林水産省

 

もう一つ感じるのは、ブンミの様な男性である。口数も少なく、何を考えているのかもよくわからない。こんな男性が非常に多い。ところが、一度スイッチが入ると、命のやり取りまでしてしまいそうな人を何人か見た。俺たちを馬鹿にすると、痛い目にあうぞと言うことだろう。

 

○ジェン(ジェンジラ・ポンパット)

「ブンミの妹。成人の娘がいるが、夫と離婚し単身各地を転々としていた。トンと共にブンミの看病に訪れ、彼の家に腰を落ち着ける。ブンミから農場の跡継ぎに指名される。」MIHO

 

彼女も、ブンミもしかし、非常に穏やかな2人である。この家での生活を愛しているブンミから、ジェンはあまり迷う事なく家を、農場を引き受けそうだ。何故なら、彼女の足をみよ。糖尿病だろう。

 

○トン(サックダー・ケアウブアディー)

「ブンミとジェンの甥。病身のブンミを世話するため、ジェンと都会からやって来た。ブンミらに似て、穏やかな好青年。」MIHO

 

この国は、今は亡き王様の才覚によって、国の独立と平和を保ち、大きな紛争も無かった。だから、穏やかな好青年が多い。周りの国を見てほしい。ベトナム🇻🇳カンボジア🇰🇭ラオス🇱🇦ミャンマー🇲🇲、大変だったんだ。この国にそうゆう事が無かったとは言わない。でもその処理が上手かったのだろう。

 

○ジャーイ(ジーラサック・カルホン)

ラオスからの移民で、ブンミの農地で働く。家人として、ブンミの身の回りの世話も担っている。故郷に恋人がおり、手続きが済み次第帰る予定である。」MIHO

 

この国との国境地帯には、沢山のラオス人がいて、割に簡単に出稼ぎに来ている。タイは🇹🇭立派な経済圏を持つ大国である。

 

そして下👇フエイとブンソン。

これをこの国の言葉で、ピーと言う。

幽霊に近いが、もっと気軽な存在で、出稼ぎに来ているラオス人見たいな感じだ。特にブンソンは、いつからこうしているのだろう。こう言う制御された表現が、この監督は上手い。

 

○フエイ(ナッタカーン・アパイウォン)

ブンミの妻。19年前に亡くなっている。ブンミが自身の死期を悟ると、幽霊として彼の前に現れる。物静かな性格。

○ブンソン(ウォラッパ・モンコルプラサート)

ブンミの一人息子。19年前にフエイが亡くなった後、行方不明になり失踪扱いされる。写真家で、猿の精霊をカメラに収めようとしたとき、彼らの仲間になった。

 

○ピー

私の最初の家内は、しょっ中このピーが憑依し、夜中に起きて色々なものを要求した。ヤクルトなんか多かった。ピーは、仏様とは一線を引いた存在。だが、この国の土着神とでも言うだろうか?このブンミさんの話によれば、人は死んだら、ピーになる事が出来る様である。或いは、弟のブンソンさんの様に、動物霊になる事も出来る。私の最初の家内はナイフを振り回し、暴れて何度か殺されかけた。人はナイフで切られた時は何も感じぬようなのである。気違いだが、その背後にもっと大きな気違い憑依霊がいるとは…

 

○この映画は、面白いとは思えないかも知れない。でもこんなリズムもあると言う事である。こんな暮らしを愛する人もいると言う事である。

 

 

何という生き方  1964年 アメリカ

何という生き方  1964年 アメリ🇺🇸

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「シンプルな結婚生活を望むルイザは、エドガーという男性と結婚する。 ある日、ルイザの母親から気に入られていた金持ちのレナードが家を訪れ、彼の冗談から刺激を受けたエドガーは一生懸命働き、大金持ちとなり、レナードを破産に追い込む。だが、エドガーは拝金主義者になり、やがて心臓まひで死ぬ。多額の遺産を受け取ったルイザは、パリへ行き、タクシー運転手で生計を立てる画家のラリーと結婚する。ラリーは絵画の世界で成功するも死亡する。帰国したルイザは、ロッドという男と出会い結婚する。そして、彼女が夢見た簡素な生活のため、牧場経営を始めるも、ロッドは牛にけられて死ぬ。その後、ルイザはニューヨークへ行き、売れない道化師のピンキーと結婚する…」Wiki

 

○俯瞰

何という映画。(What a Way to Make Movie?)

お菓子のビュッフェ見たいな映画。ただひたすら、シャーリーマクレーンに男が現れ、決まって成功し、そしてアクシデントに見舞われて死んでしまう。信じられない映画。ミュージカル要素もある。出て来るのは見たことある大俳優。

 

○出演



1人1人、特徴を引用します。

 

○ルイザ:シャーリー・マクレーンF

主人公。首の上と、首から下で全く違う女優。

彼女が求めるのはただ、貧しい成功しないが自分の側に末永くいる伴侶であった。

 

「1983年には『愛と追憶の日々』でアカデミー主演女優賞を受賞。ヴェネツィア国際映画祭ベルリン国際映画祭でもそれぞれ2回、女優賞を受賞している。」Wiki

 

○レナード:ディーン・マーティン

レナードは、ルイザが求めている人とは全くかけ離れた男性。お金持ちで、ハンサム。常に成功を追っかけている。いつしか、エドガーと一緒になったルイザから離れて行く。

 

ディーン・マーティン(Dean Martin、1917年6月7日 - 1995年12月25日)は、アメリカ合衆国歌手俳優エンターテイナー、芸能人、コメディアンである。1946年~1956年はジェリー・ルイスとのコメディ・チーム「底抜けコンビ」で知られ更に1958年以降はフランク・シナトラサミー・デイヴィスJr.たちと組んだエンターテイナー集団ラット・パックのメンバーとして知られた。」Wiki

 

エドガー:ディック・ヴァン・ダイク

エドガーは、最初の幸福病の犠牲者。ルイザがちょっと目を離した間に、田舎から家に帰り、ビジネスで成功してしまう。そうなると歯止めが利かず、ルイザには目もくれず、心臓マヒに。

 

「1968年の主演作『チキ・チキ・バン・バン』での存在感ででも顔が知られるようになった。『メリー・ポピンズ』と『チキ・チキ・バン・バン』に出演したことにより、アメリカ合衆国の芸能界やお茶の間でもヴァン・ダイクのファンだと公言する人は少なくない」Wiki

 

○ラリー:ポール・ニューマン

ラリーは芸術家。と言えば、知り合うのはパリとこの頃から決まっていた。このあたりまで、この映画の監督の意図が分からず、何より大俳優のポールニューマン、映画は落ち着きを見せるだろうと思うあなたが馬鹿だった。絵を描くロボットが故障し殺されてしまうと言う信じられない結末に。いや、それは結末ではない事に気がついて、二度ビックリする。

 

ポール・ニューマン(Paul Newman, 1925年1月26日 - 2008年9月26日)は、アメリカ合衆国出身の俳優である。3度のアカデミー賞受賞を初めとして数多くの受賞歴を持つ。」Wiki

『代表作

熱いトタン屋根の猫』(1958年)

ハスラー』(1961年)

ハッド』(1963年)

暴力脱獄』(1967年)

明日に向って撃て!』(1969年)

スティング』(1973年)

タワーリング・インフェルノ』(1974年)

評決』(1982年)

ハスラー2』(1986年)

ノーバディーズ・フール』(1994年)』Wiki

 

○ロッド:ロバート・ミッチャム

自分の自家用ジェット機を持っていたロッド。多分とんでもない金持ちだ。「ああ気をつけなくっちゃ」という思いも束の間、今度はロッドが牧場で牛に🐂。もう駄目。私は誓う。もう誰も愛さない

 

ロバートミッチャムと言うとよくわからないが、顔を見ると何処かで見たような。僕にとっては第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」である。戦争映画が多い。見たら、ああで、その次がええとな俳優だ。

 

○ピンキー:ジーン・ケリー

ネタバレになるのでこれ以上は話せない。でも、ここに出てくるのは、「雨に唄えば」のジーンケリーである。正直言って、もう疲れた、もういいわと思った時に現れた大人物。そして、最後は…

 

出演映画

雨に唄えば

踊る大紐育

巴里のアメリカ人

 

○こんな大作。こんなキャスト。ミュージカルと言うのは時々、話の常識的な流れを無視して進む時があるとはいえ、流石にハリウッドにも自制心が働いたのだろう。何の賞も取っていないようだ。しかし、とんでもない映画だ。これなら、もう少し音楽が目立てば良かったのかもしれない。

 

永遠の人 1961年 日本

永遠の人 1961年 日本🇯🇵

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あらすじ

「◇第一章 昭和七年、上海事変たけなわのころ。阿蘇谷の大地主小清水平左衛門の小作人草二郎の娘さだ子には川南隆という親兄弟も許した恋人がいた。隆と、平左衛門の息子平兵衛は共に戦争に行っていたが、平兵衛は足に負傷、除隊となって帰ってきた。平兵衛の歓迎会の旬日後、平兵衛はさだ子を犯した。さだ子は川に身を投げたが、隆の兄力造に助けられた。やがて隆が凱旋してきた。事情を知った彼は、さだ子と村を出奔しようと決心したが、その当日、幸せになってくれと置手紙を残し行方をくらしました。

 

◇第二章 昭和十九年。さだ子は平兵衛と結婚、栄一、守人、直子の三人の子をもうけていた。太平洋戦争も末期、隆も力造も応召していた。隆はすでに結婚、妻の友子は幼い息子豊と力造の家にいたが、平兵衛の申し出で小清水家に手伝いにいくことになった。隆を忘れないさだ子に苦しめられる平兵衛と、さだ子の面影を追う隆に傷つけられた友子。ある日、平兵衛は友子に挑んだ。さだ子は“ケダモノ”と面罵した。騒ぎの中で長いあいだ病床にふしていた平左衛門が死んだ。翌日、友子は暇をとり郷里へ帰った。

 

◇第三章 昭和二十四年。隆は胸を冒されて帰ってきた。一方、さだ子が平兵衛に犯された時に姙った栄一は高校生になっていたが、ある日、自分の出生の秘密を知り、阿蘇の火口に投身自殺した。さだ子と平兵衛は、一そう憎み合うようになった。」全五章 eiga.com

○監督・脚本・製作:木下惠介

 

フラメンコギター:ホセ勝田

 

○所見

この映画は、戦争の前と後を全五章と言う時間の流れの中で、時間と言う大きな化け物と戦った夫婦とそれを取り巻くこれもやはり夫婦、子供、なりが、どの様に生きて行くかを見事に描いている。そして、この頃のこの人々の言葉の中に「愛してる」と言う言葉が無い事に気がつく。ヘイベイと、サダコの世代には、ほぼ「愛してる」と言う概念がない。それは、再開した、サダコの本来の婚約者であるタカシにおいても、同じである。この人達に「愛してる」は無く、「誰よりも心配している」と表現しているのだ。この事が、この映画の重要なポイントであると思うのである。

 

○小清水平兵衛:仲代達矢

行った事になるのかわからないが、高校の修学旅行が九州一周旅行で、阿蘇の草千里と言うところに行き、更に阿蘇山の噴火口にも行った。全く素晴らしいところであった。こんな土地の地主。イメージがしにくい。この人の土地と言うよりは、大自然の土地を借りている様な気分ではないのか?全5章、夫婦は、年老いていくのだが、それ以外の時間の動きは、この土地にいる限り無頓着である。戦争をしていようが、負けようが、この草千里の土地は、人間の営みなど鼻にもかけない。なるほど、ヘイベイさんが、いじけ、人の女に手を出して、金に物言わせ、結婚してしまうわけである。初めから、愛を期待する結婚ではないのに、何故か強烈に愛(らしきもの)を希求している。

 

○さだ子:高峰秀子

それでは、さだ子と言えば、どうであろう。彼女は、このヘイベイへの怒り、復讐心をバネに、何十年も生きているのである。本来であれば、隆さんと一緒になるところであった。だが、隆は身を引いた。ヘイベイさんと幸せになってくれと言う。なんでもかんでも「愛」で単純化出来た時代ではないのだ。そもそも、何が恋愛だかわからない激しい相手を求める感情が愛というのなら、この時代以前、そんなものは無しに結婚した人は沢山ある筈である。「愛」と言う言葉の歴史は浅いのではないか?調べたら、Wikiにすらなかった。

 

○川南隆:佐田啓二

潔く、さだ子から身を引いた男、隆である。別の奥さんを見つけ、子供を作る。人生の途中で何度か、貞子に会うのだが、接吻すらしない。この人の人生とさだ子の人生の長い時間での絡み方が、何よりこの映画の重要なポイントで、素晴らしいネタバレなのだ。

 

○さだ子の父・草二郎:加藤嘉

何よりもさだ子の影に隠れて、生きて行くさだ子の父である。この人は本当にいつも思うが、タイムパラドックス俳優である。この映画でもそうゆう長い人生を変わらぬ怒りと悲しみで過ごす。

 

○平兵衛の息子・栄一:田村正和

これが、あの田村正和のデビュー作だという。ビックリだ。でもヘイベイの長男とは、つまり高校生くらいで、阿蘇の火口で自殺してしまう役。あらかじめ知らないと、田村正和とはわからないほどだ。

3人兄弟で、次が妹で家を出てしまい、一番下の弟が都会へ出て、共産党に入り、警察に追われている。

あの大地主ヘイベイも、すっかり弱くなってしまった。

正に、時とは恐ろしい。何ものも叶わぬものは時だ。

 

○総評

木下恵介、今後この人の映画を追っていきたい。

素晴らしい映画だ。

最後に、阿蘇をご紹介して、Wikiして終わらせていただきます



阿蘇谷(あそだに)は、熊本県阿蘇カルデラ内(カルデラ盆地)において、中心部にある阿蘇山中央火口丘阿蘇五によって南北に分断された北側の火口原[1]で内郷谷とも呼ばれ、阿蘇市に属する。これに対して、南側は「南郷谷と呼ばれる。阿蘇谷と南郷谷には湖底堆積物がある[2]。地質調査やボーリング調査によって阿蘇カルデラ形成後にカルデラ内において湖が少なくとも3回出現したと考えられ、古いものから、古阿蘇湖、久木野湖、阿蘇谷湖と呼ばれている[3]。」Wik

 

合掌

 

 

他人の顔 1966年 日本

 

他人の顔 1966年 日本🇯🇵

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あらすじ

「奥山常務は新設工場を点検中、手違いから顔に大火傷を負い、頭と顔を繃帯ですっかり覆われた。彼は顔を失うと同時に妻や共同経営者の専務や秘書らの対人関係をも失ったと考えた。彼は妻にまで拒絶され、人間関係に失望し異常なほど疑い深くなった。そこで彼は顔を全く変え他人の顔になって自分の妻を誘惑しようと考えた。病院を尋ねると精神科医は仮面に実験的興味を感じ、彼に以後の全行動の報告を誓わせて仮面作成を引受けた。」Wiki

 

○監督:勅使河原宏

 

○原作・脚本:安部公房

 

○音楽:武満徹

 

○所感

この映画は、実験映画であろうと思ったら、やはりそうでした。見終わった後に、安部公房の原作である事を知り、三島由紀夫も評価する作品であるらしい。確かに、白い図面、構図、撮影が特にシュールだ。。この世界を見て、これは実験映画なのでは?と僕は思ったのだろう。そして、仲代の語り、平幹二朗岸田今日子の全てがベストチョイスである。こうなると面白い他無いが、終盤に近づくにつれて、仲代の役そのものが失速し割に平凡な終わり方になってしまう。原作は違うのだろうか?ケロイドの女の絡ませ方も不満だ。同じ時制にいるのかいないのか時差がよくわからない。しかも、彼女は実験映画として、個人を失くしてしまうほど顔を破壊されていない。もうひとつ実験があるようで、気が散ってしまう。

むしろ、京マチ子前田美波里を、深めてくれた方が良かった。

京マチ子の官能的な肉四肢、(昔よく成人向け小説にあった表現>違っているかも)、前田美波里の白黒に映える褐色の肌。これだけの表現が勿体なかった。

イメージ.jpeg

○男:仲代達矢

この様に考えると申し訳ないが、男のキャラクター1人に頼っている実験映画として、辛いものになってしまう。この人の極個人的な不幸と、本人の対面と言う小さな話になってしまう。以下、三島由紀夫の評価?

 

はふつう所与のものであつて、遺伝やさまざまの要因によつて決定されてをり、整形手術でさへ、顔の持つ決定論的因子を破壊つくすことはできない。しかも顔は自分に属するといふよりも半ば以上他人に属してをり、他人のの判断によつて、自と他と区別する大切な表徴なのである。つまりわれわれは社会のつながりを、自我と社会といふ図式でとらへがちであるが、作者はこの観念の不確かさを実証するために、まづ顔と社会といふ反措定を置き、しかもその顔を失はせて、自我を底なし沼へ突き落とすことからはじめるのだ。

この自我の絶対孤独が仮面を作り出すにいたる綿密きはまる努力は、あたかも作者の芸術的意慾とおもしろく符合してゐて、読者は作者と共にこんな難事業に取り組むことを余儀なくされる。仮面を作るに当つて、古典的客観的基準といふものは存在しないし、たとへ存在しても何の役にも立たない。第一、純粋自我がそのやうにして「他」の表徴を生み出すことができるかどうか、論理的な難点が先行するわけである。

— 三島由紀夫「現代小説の三方向」Wiki

 

この実験が、その小説の中の作業から、更に映画と言うものにして行くのに、並々ならぬ苦労があったと思われる。俳優自体はベストな選択をされており、例えば、(ヨーヨーの娘:市原悦子)は、認知症の毛があるが、主人公が以前あったおじちゃんだと、簡単に見抜いている。そうすると、こっちとして知りたいのは、何故、何故??となる。この映画の規模が壮大な為に、答えの見えない実験映画になってしまった。

 

○妻:京マチ子

上記のような見方をすると、この映画が如何に大変な課題の実験に取り組み、その為に頑張って最高のキャスティングをしているのがわかる。

 

○医者:平幹二朗、看護婦:岸田今日子

本当に、これ以外が見当たらないと言うキャスティングだ。僕は、岸田今日子は、昔はてっきり、ムーミンの声優だとばかり思っていた。しかし、この人は日本が誇る、表現女優だ。黒い十人の女(1961年)も見てほしい。ヌーベルバーグだったのだ。その人がムーミンの声優だったのだから、思えば僕達の幼少時代は贅沢だ。

 

○ケロイドの女:入江美樹

やっぱりわからない。この実験の必要性が。原作を見なければいけないのだろう。

 

○実験映画

実験映画とは、我々が今生きていく未知の未来も実験映画の可能性がある。僕にとって、映画とは、自分を振り返って見るためのものである。決して、自分を忘れる為のものではない。全ての人間はそこまで姑息になる必要はない。

何十年も自分の人生は、実験映画でしたと言う。それを自分で遡って見ると、分かる。自分をこのような目に遭わせた、権力者でさえ、同じ目線に居て、実験対象として、実験動物として、僕と大した差はないことに気が付くのである。どんな人生も、無関係と言う事は無い!

 

合掌