2人の娘を、私は捨ててしまった。
自分の経済的問題だけの原因で、
2人の娘を捨ててしまった。と思っていた。
でも、それは違った。
私の理由と、
彼女らの母親の理屈は違った。
母親は2人が私の娘ではないと言った。
そして、2度と連絡をするなと言った。
あの2人は、お前の娘ではないとも言い切った。
分娩室で2人の命にワクワクしても、
2人とも赤ん坊の👶頃からいっしょに過ごし、
写真屋さんで写真を撮り、
保育園で寂しそうな君達を迎えに行って、
幼稚園の送り迎えをし、
小学校の入学試験に付き添いし、
制服の採寸に一緒に行き
プールの授業を心配で覗きにいき、
3人で映画を見たり、
電車で🚃街の中を探検したり、
シズラーのサラダを食べたり、
いくらのお寿司🍣を食べ、
アイスを🍨3人で突ついたが、
少し緊張しながら、片道900kmのドライブに、
毎年出かけたが、
私の子供ではないと言う。
この15年、私以外の家族が、いたと言う。
その私以外の父親の子供だと言う。
3歳くらいの時、ホテルのプールで、私と娘が、
ビデオに向かって戯れる姿、その眼は、私を恐れ、
違う人が父親だと怯えていると言う。
あの頃は沢山ビデオを撮ったので、あんたが親でない、そうゆう、
ビデオが📹山ほどある、と彼女は言う。
しかし、ここで何らの理屈は、要らない。
では、何故、そんな事をしたのか?
は要らない。
仮にも、そんな、私と娘の過ごして来た数倍の幸せな
時間をどこかの別の父親と過ごしたとして、
この15年の日々は、拭い去る事が出来ないし、
2つの家族があったからといって、
時間が2倍あるわけではない。
僕は十分2人の娘と、父と娘と言う日々を過ごしたし、
また、出会う日があっても、娘と出会うつもりだ。
書き込まれた人生は、消す事は、出来ない。
みんなそうだ。
本当の父と娘で有ろうが、
全くの血の繋がりのない父と娘で有ろうが、
その3人の時間があり、
それが誰にも邪魔されない時間であれば。
いくら本当の彼等の父が、コソコソと彼女達の本当の父をやってとしても、
いくら本当の彼等の父にだけ、本当の笑顔を見せたとしても、
私は全く気づかなかった。
それだけの事だ。
私の娘よ、
いつかまた会いましょう。
今も君達を愛してる。
人間の心は、お金で捻れる、そんなに単純なものじゃない。