●Q6
病院に行く前、日本で🇯🇵、あるいは、それより2年くらい、仏様に凝っていた。
凝っていたではなく、信仰である。
現在進行形である。
これ以上私が入れ込むと不味いと思ったのだろう。
中途半端な、〜〜〜〜信仰の限界である。
真言宗に入れ込み、
最初は、孔雀🦚、そして、聖天像ガネーシャに入れ込んだ。
聖天様の場合、一日2時間以上お祈りし、
京都の住職に、お祓い、お守りも頂いた。
その祈りが足らず、倒れたのである。あれから本日まで、10カ月、祈ると言っても、母に送るようお願いをしても、全てに的はずれで、如何にもボケ老人を演じ、流石に彼等も聖天様の、凄さは分かっているようで、仕方なく看護婦の書いてくれた、お札にお祈りしている次第である。
倒れたからと言って、
聖天様への祈りは、無くならない。
母も真摯な気持ちで、いかに仏様が、
大変な存在で、それが故にコロナウィルスで学ぶべきと言う事を、分かってもらいたい。
何とか、お守りだけでも手に入れて、お祈りをしたい。
ここまでおかしくなっても未だ分からないのだろうか?
母だけが、望みで、
分かってくれる筈だ。