28 認知症の輪廻転生
仏様は、我々は死んだら6道に行くと言う。
「六道ろくどう仏教の輪廻(りんね)思想において、衆生(しゅじょう)がその業(ごう)に従って死後に赴くべき六つの世界。地獄道、餓鬼(がき)道、畜生(ちくしょう)道、阿修羅(あしゅら)道、人間(にんげん)道、天道をいい、六趣(ろくしゅ)ともいう。」
我々は人間道にいるが、当然行い次第では、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道に落ちる可能性はある。人間道はその上にあって、更に上に天道の人がいる。そちら側に昇進する可能性もある。
天道は、寿命が人間より長く、〜天と言うような名で呼ばれている方々は、皆そうである。ここまでは何年ながくても、寿命がある。
毘沙門天、
弁財天、
大黒天、
歓喜天、
がそうだ。
その上に明王がいる。
不動明王、
孔雀明王、
など、顔の怖い人だ。
そしてその上に、悟りを開く一歩手前の菩薩様がいる。
観音様、
地蔵菩薩様、
十一面観世音、
など。
最後に悟りを開いた如来がいる。
このあたりは全く君達の知っている仏教と違う。
釈迦如来として。
また、最高峰には大日如来がいるわけだが、そもそもそういう人間的なヒエラルキーは無いのであって、誰を信じるかは、本当は灌頂の儀式によって決まる。仏様の名前が展開された紙に、目隠しをされたあなたが悟りを開きたいと、蓮の花を落とすのだ。その落ちた場所があなたの信ずるべき仏様である。それとここで言う仏様とは、上で説明した天道の人を選ぶ場合もある。天道の方もそのマップに載ってるわけだ。
日本人には如来では、
薬師如来、
が如来でも近しい存在ではないか?
僕たちは、毎日これらを踏まえて聖天さまに拝んでいる。
あの国にいてブッダに拝むように。
輪廻転生の中にいる我々の中で、認知症の人はどのような位置付けにあるのだろう。ある年齢までは普通の生活をしてきて、認知症になってしまう。それは、誰なのだろう。宗教家はこれに答えを出しているのか?
色々見たがどうも見当たらない。
そこで私が説明する。
まず、認知症とゆう病気は我々が勝手につけた名前である。病気とは我々が勝手に考える概念である。どこからどこまでが病気でどこから前が病気ではないと言うのも全て勝手な線引きである。何も病気の発症が見れなくても、そうなるための生活があったのかも知れない。病気の苗床があったのかも知れない。
あなたから見て、全ての人間は異常であって全ての人間から見て、あなたはどこか異常である。では何が正常なのかと言えば、そんなものはないのだ。自分が正常だと言う主観で皆暮らしているのなら、他は全て、異常であろう。その中で折り合いをつけて生活しているのが人間界だ。人間には誰一人同じものはない。妹さえも。認めるだろう?
この間、100%リスペクトと言った、介助士の人達だって、様々な、人々を寄せ集めてきて、規則と常識とでアライメントしているに過ぎない。全て人間が人間同士が働くと言うことは、そういう事だ。いや、仕事以外、人間の営みが全てそうだ。
それを全て生として、それが死にまた生となる、これを輪廻転生と呼んでいるのである。
でないと、認知症が説明できなくなる。
認知症だけが特別な、仏教も予想し得なかった病気である訳がない。
不思議でしょうがないのだが、もう一度、私は正常か?と言う視点で考えてみたい。そうすると色々な事がすっきりとする。と共に、認知症の人達もまた、まだ人を外れた訳でない事が見えてくる。
とは言え、人間として分かっている積もりでも、全てを冷静に対処する事は出来ない。今、正常だと言う側にいる人を見ても、よおく見ると認知に近い動きをしている人はいる。
例えば、相手が認知症なのに「なんでこんな事も出来ないんだ」と怒る。既にこの人はこの時点においてこの人自体が、認知症の方角へ向かっている。
○相手は認知症だ。
>分かるように言ってあげなくてはならない。
○相手は足が悪い。
>車椅子を持ってきてあげよう。
○相手は耳が不自由だ。
>補聴器を、更に悪ければ手書きで書いて伝えてあげなくちゃ。
○相手は利き腕が不自由だ。
>リハビリで利き腕を変える訓練ができるかな?
こう言う人間の態度が少なくとも大多数の人間の正常な道だ。「いや、疲れているので思わず言い過ぎてしまった。」それは分かる。その疲れに100%リスペクトだ。でもなるべく減らさなくてはならない。それを日常にしてはならない。それでは、あなたの認知症は進行する。
理想は幾らでも言えると言うだろう。だけど、実際にあなたが認知症の人にイライラして怒っている時に他の人は怒っていますか?私が見たところあなたは30人に1人だ。その他の人は我慢するか、なんらかの思索によって解決してしまうんだろう。ここに入院して、つくづく思った。
娘達も、すぐ怒る癖はやめなさい。
特に妹は、気が強く要注意だ。
分かったね。
さあ、お昼にしよう!