migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

32 老人病院、障害者病院

 

32 老人病院、障害者病院

 

私のいる病院は所謂老人病院で、特に認知症の老人が多い事は以前も話した。

ちょっと並べてみよう。

「人の助けが無ければ生きるのに思い通りにならない人。」

まずこの言葉が無ければ病院にいる意味が無い。

ただし、①肉体的、②精神的、或は③どちらも問題がある場合もである。

僕の分類は僕がしやすくしているだけであるので、なんかいい分類あるのかなとググったら、病院別というのが多かった。この点は今後勉強するので、今日はパスだ。やっぱり僕流で説明する。

 

①の場合、1番本人にとって最悪のケースは(Bedridden)寝たきりである。

ただ

本人が分かっているケースと、

本人が分かっていないケースとあるだろう。

つまり③の場合もある。

ご飯すら食べる人に食べさせて貰うしか無い。

 

こういう人たちは、この病棟で2ー3割くらいではないか?

前回、コロナで100人のうち、70人が感染したと言ったが、こういう人達の方がコロナの感染が少ないと書いたが、コロナの場合、「動かない」が、「体力が弱っている」に優先するのなら、ジッとしていた方が良いのか?

 

肉体的にも、精神的にもこの地点からヴォリュームをあげてその人に近い状態で止まるのであるが、この①、②、③にもう一つ加えたいのが、④障害である。①も②も③も元気になれば健常者だった人の身体状況であるのに対し、④の場合、明確に原因が分かる障害者で、ある日ある時障害者になったのだ。

だからこういう人は分けたい。障害者であるのだから健常者になるのは、自分の力では難しい。

 

僕や、僕の隣のベッドの友人は正にこの中に入る。

そして僕の願いは正に、仏様にお願いし、自らも必死に変化し、最終的に障害者ではなくなる事である。

 

障害者なのか障害者でなくワザと気狂いのフリをしているのか?

毎日日々会って、会話をして、判断するしかない。

例えば、毎日日付けを間違える人がいる。

例えば、毎日朝の挨拶なのにこんばんわという人がいる。

逆もまた然りだ。

 

大声で叫ぶおばあさんがいる。

我々を、おばあさんとその家族との戦いに巻き込まれている。叫ぶ以外はどう見ても健常者である。それを、障害者と呼んで、預ける場所を見つけたみたいである。日本人であれだけ叫ぶのは、日本人の文化からしても異常だが、あれだけ叫べるなら非常に元気で、もし家にいて家族にあれだけの大声で叫ばれたら家の人々は生活に支障を來し、仕事、睡眠にままならない。そもそも周りの家が許さないだろう。それで、「施設に預ける」というチョイスになったと思うのだが、当然おばあさんは家を出たくないので、毎日施設で大声を出す。この悪循環の中に我々は引きずりこまれている。何故なら、ここは老人病院で、障害を持った者たちの病院だからである。だから大声を出すおばあさんを預けてokなのだ。私はこれが腹がたつ。

私は、ここで余り、患者の事を書くつもりはない。

面白い話はいくらでもある。でもその人がどれだけの苦悩にいるのかを思うと、何の助けにもならぬ駄文を書くべきではなかろう。

ただ、このおばあさんの場合、家族の側にも、おばあさんの側にも障害者相手なら何をしても良い、という(つもり)が少しでもあれば、攻撃せざるを得ない。おばあさんに重篤な病気があるようにも見えない。何より、病院の介助の皆さんの気苦労は想像を絶する。家に帰って静かになるなら、帰すべきだろう。

 

脱線をしてしまったのでこの辺でやめるが、精神病院や、ガンの病院、老人病院でもアルバイトした事があるので、叫ぶ人は何人か見た。その人たちと比べても、あのおばあさんは、音声に置いて異常、内容に置いて正常だ。他の老人、病院、抗議する声も出ない人に気の毒だ。

 

本来、ここで語りたかったのは、ここのスタッフの皆さんのことであり、リスペクトである。

 

ただ先程のおばあさんの件はかなりひどいケースなので、行間をさかせて頂いた。

 

特に介助士を中心に次回の話とさせて頂く。