メイジーの瞳 2013年 アメリカ
🍅🍅🍅
アメリカの映画でよく見るシーン。
子供が、ある半分は父と、ある半分は母と暮らす。
そのことによって起こる騒ぎ。
一番の問題は、子供に選択権はないようである。
それともう一つ、お金持ち。お金持ちの父母にとって子供も、
人生のアクセサリーである。「愛している」口で言うのは簡単だが、
子供との時間がいかに重要でかけがえの無いものか?
お金のために、人に渡して、王様に大金貰えばいいというものでは、
あるまい。
出演
○オナタ・アプリール (メイジー)女/ 子供
ちょっと、ひ弱な子供。
メイジーは所謂(良い子)。父にも母にも従う。悪い口は聞かない。
でも、自分の親は、何かおかしい。
○スティーヴ・クーガン ビール男/父
テレビか映画の仕事をしている父。
娘とは仲良くしているが、妻とはすれ違い離婚。
そして、ベビーシッターのマーゴと一緒になる。
○ジュリアン・ムーア (スサンナ)女/母
劇団か歌手をしているのか?
気の強い彼女は彼女から夫に別れを言い渡す。
ところが気の強い彼女は、裁判所の心証が悪く子供といる日を、
元夫と、10日毎に分けられる。
元ベビーシッター。父と結婚したようには私には見えなかった。
その結婚は、まるで子供のメイジーを任せるためにしたみたいだ。
だんだん、ストレスが溜まる。
一方彼はバーテンダー。
同じく、母のスサンナと知り合い、一緒に住み子供を押しつけられる。
この映画はつまり、お金では買えないものが、沢山あるということだ。
お金は無いが、時間がある若いベビーシッターとバーテンダーの方が、
子供にとって人間らしかった。
時間は切り売り出来ない。
ただ、映画としてそれだけ感がある。芸術として昇華していない。
トマトが🍅🍅🍅になってしまった。