migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

晩春1972年日本🇯🇵

 

晩春1972日本🇯🇵

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監督:小津安二郎

 

1972年、僕が5歳の時である。

この家。長い壁。無職で毎日毎日映画を見て、能を見て、デパートに行く、楽しそうな紀子。一方僕のウチは、アパート暮らし、西武電車の鉄道の前で毎日遊んでいた。この頃、一度だって貧乏だと思ったことはない。貧乏という言葉を知らなかった。既に、ドリフ、日活吉永小百合、映画は皆、ノワール、天然色だ。

これは事実だ。今でこそ、社会全体を見渡すメディアが充実し誰が金持ちで誰が貧乏か?という話だが、この頃のこの国は良くなるしか無かった国である。

僕にはこの映画が何故白黒なのか?お金持ちのブルジョアジーしか出てこないのに何故?なんか、「斜陽」みたいだ。

 

出演

原節子    (紀子Noriko Somiya)女

紀子(三部作共通名)

は、未婚で大学教授の父の周吉と暮らしている。

周吉、叔母のマサ、友人のアヤ、皆から結婚を急かされている。しかし本人は、何を考えるのか微笑んで答えない。

彼女は今を楽しんでいる。

智衆    (周吉シュキチ・ソミヤ)男

紀子の父。大学教授。奥さんには既に先立たれている。

今まで、一人娘の紀子を手元に置き過ぎた、と反省している。

月丘夢路    (アヤ・キタガワ)女

友人?

この時代、所謂ハイソサエティな友人とでも言うべきか?

杉村春子    (マサ・タグチ)女

紀子の叔母。

紀子然り、周吉然り、結婚させたい。

宇佐美淳  (Shôichi Hattori)男

周吉の助手。

紀子の友人だが、周りはそうは思っていない。

 

紀子の美しさ、感動的な輝きを持つ美しさ。この人の黒澤明作品「我が人生にくいなし」との大きな落差。

この映画は素晴らしい。皆さま、みてください。劇場でも、家のホームシネマでも、飛行機でも、アマゾンでも、ネットフリックスでも、スマホでも、自由です。

主題はやはり、ファザーコンプレックスである。ただ、笠智衆だから勤まる役だった。ジプシーの映画の激情はこの映画にはいらない。だから、父と娘の最後の旅行で、同じ部屋に泊まってもおかしな事はない。父は娘の背中を押す為に「再婚しようかな」と嘘をつくのである。

大体僕等は日本人だ。娘が父を求め、父がそれになんらかの形で応える、それ自体が紀子の言う「不潔」だ。ただいつまでも、この状態でいたいのだ。

「晩春」は、僕の知る限り、小津作品で最も明るい白黒映画である。この映画の題名にずっと違和感を持っていたが、「春」では駄目なのだ。