ラ・ポワント・クールト1954年フランス🇫🇷 🍅🍅🍅
ラ・ポワント・クールト1954年フランス🇫🇷
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あらすじ
「ゴダールの『勝手にしやがれ』よりも5 年、トリュフォーの『大人は判ってくれない』よりも4 年も早く製作された、「ヌーヴェルヴァーグはここから始まった」と言っても過言ではない伝説的作品。南仏の小さな海辺の村を舞台に、生まれ故郷に戻ってきた夫と、彼を追ってパリからやってきた妻。終止符を打とうとしている一組の夫婦の姿を描く。」filmarks
監督:アニエス・ヴァルダ
出演
○フィリップ・ノワレ (ルイ )男
バカンスに自分の田舎に帰る。奥さんエルを田舎に呼び仲直りするためだ。でも来るか来ないか不安で、何度も駅に見に行ってしまう。奥さんが来ても、お互いがお互いの心と体を自由にさせる事は無く、歩く事に疲れてしまう。
ルイに会いに田舎にやって来た。
僕はこんな人ほどフランス美人と言うのかなと思った。
2人が演じるのは、ただ相手と違う方向を見ている今の2人。
○その他の出演者について
あなたが、友達の、或いは彼女彼氏の田舎にうっかり行ってしまって、浮いた状態でその田舎を散歩する事があるだろう。この映画の一面はまずそうゆう感じの男女だけの世界がある。今風なら、お洒落である。でもこれだけではこの映画はシンドそうだ。
○今の日本のCMは殆どが、これの表面の油粕だ。しかもセンスが悪い。しかも、説教までする。お洒落でイケメンで、駄目、無理、コロナ、マスク。芸術を演じながら、「スマホでATM不要のCM」にも出る。毎日の生活があるのだからしょうがない。
○その一方で、この漁師の村は水俣病の様な公害病に犯され、漁業を禁止されているのに、村人は聞かない。人は公害で死んでいく。イタリアン、ネオ・レアリズモの一面を持っている。「揺れる大地」をご覧下さい。レビューもね?
この映画はヌーベルバーグがイタリアのネオレアリズモの映画から分岐する、分岐点にいるとでも言うべきか?
と言う評論家みたいな呼び方は好きではない。映画の潮流はそうだろう。でも勝負は一本一本違う。映画は良い映画を楽しく見て、悪い映画に深く絶望したい。
○めちゃくちゃ面白い事はないが、美しい映画。でも終わりがなんとなく。処女作ですから。処女は2019年に亡くなりました。
○ところで、この映画を見たのでヌーベルバーグの勉強をちょっと。
この映画の監督のこれは処女作であった。
「アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda,1928年5月30日- 2019年3月29日)は、ベルギーのブリュッセル出身の映画監督である。「ヌーヴェルヴァーグの祖母」と呼ばれることもある[1]。」Wiki
ヌーベルバーグには2つの派閥があって、ヴェルダは左岸派だった。
「左岸派(さがんは、仏:Rive Gauche)は、1950年代末に始まったフランスにおける映画運動。「新しい波」を意味するヌーヴェルヴァーグの一派である。『カイエ・デュ・シネマ』誌の事務所はセーヌ川の右岸にあったのに対して、セーヌ左岸のモンパルナス界隈に集まっていたので、「カイエ派」(あるいは「右岸派」)に対して「左岸派」と呼ばれた。」Wiki
「左岸派の中から、「シネマ・ヴェリテ」(映画・真実Cinéma vérité)という新しいドキュメンタリーが生まれた。」Wiki
ああ、やっとフランス映画が、分かって来た。これからこのレビューでもっとフランス映画を見て、ギトギトしたエッセイレビューを書くぞ!