migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

喜劇いじわる大障害  1971年日本🇯🇵 🍅🍅🍅

 

喜劇いじわる大障害  1971年日本🇯🇵

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あらすじ

「1970年代。若者のあこがれの的・東京。多くの人々が集まり、スモッグや交通戦争などに悩まされている大都市。こんな中でドデカク成功し、名を上げて故郷に錦を飾ろうとする若者は今も同じ。豪農、猪狩家の息子・次郎(岡崎二朗)も御多分にもれず、その一人だった。両親の反対を押し切り大望に胸を膨らませ、東京にいる従兄弟の談次(立川談志)を訪ねて、一路東京へと向かった。東京で右往左往する次郎は財布をスラれ、踏んだり蹴ったりの都会の洗礼をあびる。ションボリと町を歩いていた次郎は、先ほどのスリに会う。カネを取り返そうと格闘するが、ケガをして昏倒。担ぎ込まれたインチキ産婦人科でデタラメな治療を受け、法外な治療代を請求される。そこに化粧品セールスウーマン春子(夏純子)が現れその場を救ってくれたのだが・・・。」日活

 

監督:藤浦敦

 

「岡崎二朗は、日本の俳優である。鹿児島出身。明治学院大学中退。父親は亜細亜大学教授の倉岡克行。ウィキペディア

出生地:満洲国

生年月日:1943年12月26日(年齢78歳)」

この映画は大変申し訳ないが、この岡崎二郎以外は皆さん有名人だらけで、この岡崎さんが主演なのに、岡崎さんのことを全然知らないと言う、とんでもない状況である。しかも現在78歳、すでにこれまでも多くの映画、ドラマに出られ、未だ現役として頑張られている。でも本当に見た事がない。ごめんなさい。まずこの事の珍しさにビックリであった。

岡崎さんは、田舎から出てきて一山当て様と言う若者。しかし都会は大変なところだ。

 

立川談志

師匠の映画を始めてみました。それだけでも価値があります。この映画、これだけの主演者人でも、やはり立川談志、自分のペースで映画を引っ張ります。

 

「七代目立川談志(たてかわだんし、1935年〈昭和10年〉12月2日[注釈1]- 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家、政治家。落語立川流家元。本名:松岡克由(まつおかかつよし)。出囃子は「木賊

 

古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。五代目三遊亭圓楽、三代目古今亭志ん朝、五代目春風亭柳朝(柳朝没後は八代目橘家圓蔵)と共に「江戸落語若手四天王」と呼ばれた。自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。

参議院議員(1期)、沖縄開発庁政務次官(三木内閣において36日間)、サイバー大学客員教授などを歴任した」

 

皆さんすみません。今回はそもそもこの人シリーズで、その人の中途半端な理解を反省してみます。引用多くウィキには恐縮です。

 

5代目三遊亭圓楽

私の家はしょっちゅう、笑点見てましたというと、この方でした。この人で既に5代目?

 

林家木久扇

そして、木久蔵さん。今日も元気に笑点に出て居られました。この頃は、本当に若い。

 

初代林家三平

主人公ではないが、その存在感はただ事ではない。

 

夏純子

お色気映画の夏純子もここでは、真面目な役である。考えてみれば、この人も岡崎二郎も出演数が非常に多い。そして未だ健在の様で何よりである。キーハンターである。

 

ケーシー高峰

ケーシー高峰(ケーシーたかみね、1934年2月25日2019年4月8日)は、日本のタレント俳優。本名、門脇貞男(かどわきさだお)。」

「1968年、「ケーシー高峰」に改名し、漫談家に転身した[3]。名は自身が医師志望であった過去を活かし、医師が主人公のテレビドラマ『ベン・ケーシー』からとり、屋号の「高峰」は、ケーシーの少年時代、地元の最上町に映画『』の長期ロケでやって来て、一目惚れした女優の高峰秀子[9]の名字から名付けた(のちに天才・秀才門下の芸人がケーシー門下に移った際、自身の屋号「高峰」を名乗らせている)。ケーシーは「グラッチェ(イタリア語で、ありがとう)」「セニョール(スペイン語による男性に対する呼び方)」「セニョリータ(同上による女性に対する呼び方)」など、連発する謎のラテン系あいさつは当時の流行語にもなった。『大正テレビ寄席』のセミレギュラー出演などを通じて、お茶の間の爆発的人気を博した。1969年には演芸番組『おいろけ寄席』(東京12チャンネル(現:テレビ東京))の司会に起用された[4]。」Wiki

 

立川談志の次に、短い出演時間でこれだけの存在感。

 

毒蝮三太夫

芸名は凄いが、意外に健康なキャラクター。

1966年には『ウルトラマン』に科学特捜隊のアラシ隊員役で出演、子どもたちの人気者となった。引き続き翌年の1967年に制作、放送された『ウルトラセブン』でもほぼ同様の役柄であるウルトラ警備隊のフルハシ隊員として出演した[1]。」Wiki

 

○このほかにも、

加藤武 金田一幸助の敵役。

南利明あの存在の軽さが、筋金入り。

上田吉二郎やっと名前が分かった。

 

○この映画は、もうこれでいいのだ。日本の偉大なる落語系のタレントを拝む事が出来る重要な作品だ。日本のこの時代のタレントは層が厚い。大量生産で、映画、ドラマを作り、役を競い合っている。外連味が無い。主役以外が有名人だったなんて冗談見たいな話もこのタレントの顔ぶれならありそうです。