migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

7月4日に生まれて1989年アメリカ

74日に生まれて1989アメリ🇺🇸

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194674日。アメリカの独立記念日に生まれた少年は、野球に夢中になる一方で愛国心に目覚める。高校生になった彼は、学校に来た海兵隊員の言葉に胸を打たれ、やがて海兵隊に入隊。そしてベトナム戦争に従軍する。過酷な戦場で心身ともに傷ついた彼は、戻ってきた故郷でも辛い現実と向き合い、やがて人生の意味を知ることになる。」Google

 

前書

そもそも、病気になる前はトムクルーズが好きでは無かった。色々な意味で人生を勝利し、謳歌している男だと思っていた。しかし、この映画も含め、それは大きな間違いである事に気がつかされた。彼の美醜は、むしろ彼の映画にとってハンデではないのか?とすら思われた。ベトナム🇻🇳戦争は昔から色々な映画、本、雑誌など読んで、ベトナムのみならず、カンボジア🇰🇭に関しても大いなる怒りを持っていた。「プラトーン」も見た。「地獄の黙示録」「グッドモーニングベトナム」「フルメタルジャケット」「キリングフィールド」(カンボジア)も見た。でも今回この映画が1番だ。戦争に負けたアメリカ人を、最もみっともなく描くには、トムクルーズしかあり得ず、トムクルーズしか出来なかった。もう一度言おう。この映画は、戦争に負けたアメリカの醜い姿を克明に描いた映画だ。

 

ネタバレで良ければ、Wikiの今回のこの映画に関するレビューは詳細だ。

 

「主演のトム・クルーズは役作りのため、約1年間車椅子に乗って生活した。」

 

監督:オリバー・ストーン

 

トム・クルーズ  (ロン・コーヴィック  )男

ロンの自伝的小説とあるので、実在の人物だろう。

ケネディの演説をテレビで見て、その言葉を信じ戦争に志願した人。

ウィレム・デフォー  (チャーリー  )男

トムクルーズが、地獄の入院生活から立ち直るために、メキシコに行く。そこで出会ったベトナム戦争の同業?なんと呼ぶのかな。ちなみにウイレムデフォーは元々大好きだ。

キーラ・セジウィック

Donna,Ron's Girlfriend

トムクルーズの恋人。

戦争に志願したために、彼女とは愛も交わしていない。

つまりトムクルーズは童貞のまま、半身不随になったのだ。

戦争からトムクルーズが帰ってきても、病院から出て来ても、彼女は来ていない。逆にトムクルーズがニューヨークに訪ねて行った次第。反戦運動家になっているので、色々な意味で、トムクルーズに会いにくかったのだろうか?

レイモンド・J・バリー(Mr. Kovic)男

ロンの父。

キャロライン・カヴァ  (Mrs. Kovic)女

ロンの母

 

しかし、政権が変わるとここまで変わるものだろうか?この違いに日本人なら納得するだろうか?ケネディは結局、何故殺されたのか?誰が殺したかは、もういい。何故?それだけは知りたい。出ないと浮かばれない。そうゆう司法取引は無いのか?

今回は泣けて泣けて仕方が無かったのでここまでにする。もし、あなたが幸せの絶頂にいるのなら見ない方がいいだろう。先ずは人生を謳歌しなさい。

私のいる病院にベトナム人の介助者が二人いる。この映画の話をしたいのだが反応が怖ずしていない。映画では、ベトナム自体はあまり出て来ない。人の苦しみとは、そう簡単に死を伴って現れない。

 

アリバイ1963年日本🇯🇵

アリバイ1963日本🇯🇵

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「偽装されたアリバイ工作を崩すべく、必死の努力を傾ける捜査担当刑事の活躍を描く。」日活

 

監督:牛原陽一

 

二谷英明    (畑中英次  )男

主人公。刑事。若手、真面目。捜査の中心。

宮口精二  (佐川朝吉)男

いかにも現場一筋のベテラン刑事。

奥さんが、病気で余命いくばくも無い。

7人の侍」の一人。

鈴木瑞穂  (滝村剛)男

上級刑事。捜査は大掛かりなもので、殺人に加え、金融、汚職等の知能犯を扱う捜査二課に及ぶ。

高品格  (高橋)男

刑事

郷鍈治  (林)男

今や絶滅寸前のヤクザ、或いはチンピラ。

下記、大滝、呉羽の子分的存在。

大滝秀治

台湾マフィア?悪役。

下記、呉羽の子分的存在。

7人の侍」の一人。

渡辺美佐子  (千恵)女

事件の鍵を握る女。地味過ぎ。

 

ここからGoogleのリストには無いのだが重要。

中央貿易公司社長の呉羽。

中国語を操る怪しい社長。

呉羽というと呉CRC556という潤滑油を思い出すのは、私だけであろうか?

極東電機の経理士・中島芳夫。

そもそも、この事件の被害者。秘密を握ったため殺される定番。

拳銃ブローカー大野

実はこの事件の重要参考人であり、終始警察に拘留されている。

 

疲れた。この映画はそもそも、実録風に作られており、俳優の配置にこだわりが感じられ無い。実は下に下がるほど、この映画の重要人物で、葛藤の中心にいる。

二谷英明は、郷ひろみと結婚した?さんのお父さんである。この人は地味なキャラクターで、思うに主役を張るタイプではない。お陰で上述の様に、重要な脇役が意味不明な状況である。映画はカチッとしたいい映画だと一瞬思ったが、善か悪どちらにスタンスを置くかあやふやなので意味不明な映画になった。ブローカー大野を主役にした方が分かり安かった。大滝秀治が、凄い配役。

 

世界を賭ける恋1959年日本🇯🇵

 



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原作武者小路実篤「愛と死」

監督  滝沢英輔

 

あらすじby movie walker 改変

新進建築家・村岡雄二が彼の批評家・野々村欽也の妹夏子に初めて会ったのは上野美術館で開かれた現代美術展の会場だった。野々村の誕生会に招待され、そこで夏子の活発で優しい性格と美しさに惹かれる。

2人の仲が急速に進む中、雄二の作品がローマのビエンナーレ(?下記)に当選した。ストックホルムの公使館にいる叔父のすすめから、三カ月の渡欧の話が持ち上った。雄二は、たとえ三カ月でも夏子と別れたくはなかったが、夏子は彼の渡欧をすすめた。皆の説得もあり、後ろ髪引かれる思いで日本に夏子を残し、1人、スカンジナビアに出発する。

 

ビエンナーレは、2年に1回開かれる美術展覧会のことである。「ビエンナーレ」の原意はイタリア語で「2年に一度」「2年周期」である。英語でバイエニアルと呼ばれる展覧会もある。語源となったヴェネツィアビエンナーレは、世界中から美術作家を招待して開催される展覧会として100年以上の歴史を持つ。ウィキペディア

 

石原裕次郎 (村岡雄二)

主人公。若い新進気鋭の建築家。

浅丘ルリ子(野々村夏子)女

村岡の恋人。村岡のスカンジナビアからの帰国をただただ待つ。

葉山良二 (野々村欽也)男

夏子の兄。

南田洋子  (野々村かおる)女

夏子の義姉。

二谷英明 (従兄の稔)

村岡の従兄。ストックホルムにいて、村岡の世話をする。

そのお父さんが、Swedenの日本公使なのだ。多分。

奈良岡朋子

村岡の姉?

 

「世界を賭ける」という題名。原作の題名より素敵だ。

今まで石原裕次郎の警察ドラマしか見て来ていないので、真剣にこの時代の映画を見てみる。第三弾。この映画。つくづく思うのは映画って事前情報は不要だ。だからこのレビューも不要だが、如何にこの映画のラストにびっくりするか?純粋な子供の様に。前回もそうだが、映画の前半と後半で映画の空気がガラッと変わるのである。これは石原作品の持つ特長なんだろうか?

石原裕次郎の格好良さもいい。昔はあまり好きになれなかった。

夏子、浅丘ルリ子、偉大な女優のバク転宙返り。

題名だが、世界を賭けるではなく、「翔ける」の方がしっくりするんですが。映画としては自分の生まれる約10年前。総天然色。恋人同士が、分かれる前に海へ行くのだが、この場所を知りたい。半島の禿げ具合が珍しく素晴らしい。

リデンプションアメリカのタブーに挑んだ男達2022年アメリカ🇺🇸

リデンプションアメリカのタブーに挑んだ男達2022アメリ🇺🇸

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あらすじ

「父親との関係に悩む生徒を助けるため、一緒に神に祈ったことで解雇されたバスケットボール・コーチ。それがきっかけで、学校側から一方的な解雇を言い渡されてしまう。復職してほしいと生徒たちに請われ、学校を訴えることにしたが、弁護を請け負ったのは、ギャンブル狂いで厳しい取り立てにあっている弁護士だった。バイクを売って捻出した費用もギャンブルですられてしまい、二人には後がない。教師が祈りを導くことは違憲とする学校側と、助けを求める人に信仰を共有する自由があると主張する二人。信仰の在り方を問うヒューマン・ドラマ!コーチ役のニック・ラシャウェイは本作の制作から10か月後、交通事故に遭い急逝。奇しくも本作が遺作となった。」(C)20l6 Prayer Never Fails,LLC   Amazon

 

監督

ウェス・ミラー

出演

ニック・ラシャウェイ,クリフトン・デイヴィス,コービン・バーンセン

 

 

さて、この映画は申し訳ないが非常に面白くない。ただ、アメリ憲法第一条のタブーに触れるというそう言う下りが引っかかる。そこで、大学の資料をコピーしようとしたら、出来ない。仕方ないので読みながら適当に割愛しつつ、勉強だけ。

憲法修正第1条とアメリカの公教育における宗教」同志社大学森孝一さん

アメリカにおける政教分離の原則はかなり日本と違っています。」

政教分離、面白いと思うのは、教育って言うのはその国を作る上で重要な要素であるが、一方で宗教と言うものも重要な要素で、日本では当然分離されているが、アメリカでは最初明確に定義されて居なくて、後から修正され、非常に目立つ、議論を産む存在と言うことか?つまり国は最初に何を大事に考え、国を作るのか?と言う議論にもなりうる。

「あまりにも自明のことであったために、憲法に書かれなかったのではないかと思うのです。」

更に読み進みと面白い。(映画より)

「その第1 条、基本的人権のはじめに書かれているのが「信教の自由」「政教分離」と表現の自由」です。これが最も重要であると考えられたのだと思います。因みに第2 条は何か。銃を持つことについてです。「銃を持つことが基本的人権である」と書かれてあるのが憲法修正第2 条であるわけです。

そしてここで修正第1条で、次の2点が明記されている。

「国教を制定することを禁止する」

「宗教活動の自由」

これを両立させることを考えた時、この映画に戻って見ると頭が痛くなる。両立は無理なのに、単品で解釈して授業でお祈りすら出来ないということになった。それを描いた映画だと思うんですが。

ただ、日本の場合修正ではなく最初から明確に政教分離されているので、公的な領域から宗教というものを排除していくで通っている。

この文献で

ワシントンD.C.にあるアーリントン墓地の場合、埋葬されている人の宗教の自由の尊重と言うのはなかなか興味があります。あのお墓は、色々な宗教が混在してるんですね。キリスト、カトリックプロテスタントは勿論、仏教やユダヤ教、同じ墓地にある。これだと思いました。

私が思うには、宗教はもっと交流しながらいいところを分かち合いながら発展すべきだと思います。一つ一つの宗教間に壁はいらない。壁があるから宗教の自由と言う不自由があると思います。そうでなければ、ならないとさえ思う事がある。キリスト教も仏教もどちらが優れていると言う事はありえない。それよりも分化した宗派については尚更だ。

さてこれだけの素晴らしい映画に余りにも他の要素を盛り込み過ぎて、面白くなくしたのがこの映画である。むしろ、ドキュメンタリーにした方が良かったかなあ。本当、残念。

男の優しい罪と罰2013年カナダ🇨🇦

 

男の優しい罪と罰2013カナダ🇨🇦

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あらすじ

「元彫刻家で芸術大学の教授だったアブナー。しかし弟と三角関係のもつれで絶縁状態になり、自暴自棄になっていた彼は交通事故で相手を死なせてしまう。罪の意識に囚われ、今は警備員の夜勤をしながら、自殺を試みては踏み切れないというようなことを繰り返す毎日だった。」アマゾン

 

監督:エマニュエル・シリニアン

 

マイケル・D・コーエン  (アブナー  )男

主人公。アーティスト?

大学教授そして落ちぶれた警備員。

エマ・フルーリー  (ゾーイ  )女

タクシーの運転手。車はなんと懐かしいカローラ

アーロン・エイブラムス  (トム  )男

主人公の弟

アンナ・ホプキンズ  (マドリン  )女

主人公が片思いの女性、で、弟に取られてしまう。アーティスト?

 

そもそもレビューとはなんでしてるのか?

①いい映画に出会うため。

②ブログを書くため。

③どんな映画を見たか忘れないため

④行った事の無いところ、出来事を体験をするため。

⑤自分にとって新しい音楽に出会うため

⑥歴史を理解する為。

⑦新しい知識を得る為。

こんなところか?①はいいものが、どこにあるのかわからないので、次から次へと見漁っている姿であろうか?そしてそれを忘れない様にブログに書き、人生の終に改めて読み、評価の良かった映画を見てみる。ということか?

去年、倒れた時までそう思っていたが、人間絶対絶命の時は、意外に時間がありながら、映画の事に気がつかないものだなとも思う。そしてパスワードを忘れ、病院で一からブログをやり直した次第である。

良いレビューはいくらでもある。内容を正確に説明するのは、苦手だ。印象を大事にしたい。

というわけでこの映画、表紙に映画賞を並べたりしていい映画なんだろう。時間軸がめちゃくちゃでも分かれば問題はない。わからない。何度も寝てしまった。ただ印象に残ったのは、口の大きな美人だ。マドリンか。こうゆう美人は、誰も私を相手にしないとぼやきながら、どこかの男に持って行かれるものと決まってる。

警備員を馬鹿にするな!落ちぶれると人は警備員になるのか?それも含めた異常行動なのか?失礼な。時間軸の扱いは韓国の方が余程上だ。

 

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揺れる大地 1948年イタリア

揺れる大地  1948イタリア🇮🇹

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あらすじ

「『揺れる大地』は、1948年公開のイタリア映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。モノクロ、スタンダード、160分。シチリア島の漁村を舞台に、漁民一家のたどる辛苦の日々をドキュメンタリータッチで描いた、ネオ・レアリズモの代表的作品。ウィキペディア

 

ネオレアリズモとは

1940年代から1950年代末にかけてイタリア文学・映画において支配的であった潮流、傾向を示すことば。字義的には「新しいリアリズム」の意。レジスタンス=解放戦争によってファシズムを倒し、君主制を廃止して共和国として生まれ変わったイタリアの「新しい現実」の芸術的表現がネオレアリズモであった。」コトバンク

 

監督ルキノ・ヴィスコンティ

 

最近

ネオレアリズモの映画に、魅力を感じている。1950年代あたりのイタリア映画。小説も含め新しい表現が「新しい現実」として表現されている。その歴史的背景は複雑な様で、1940年代においては未だ、ファシストからの反動的共産主義の中にあり、ルキノウィスコンティの表現もギリギリの表現が逆に洗練されて、美しくもある。嘘を書かず、誇張もしない。だがカメラの向けられた現実に我々は吸い込まれて行く。

 

出演(全てシチリアの漁民、俳優ではない)

ウントーニ:アントニオ・アルチディアコノ

ヴァラストロ一家の長男。

魚の仲買人の搾取に日々怒りを覚えている。そして、代々の家を担保にお金を借り、自らの手で現状を変えようとする。

鰯の塩漬けに全てを賭ける。

イタリア料理に鰯。アンチョビーか?

コーラ:ジュゼッペ・アルチディアコノ

ウントーニの弟。現状を変えようとするのはウントーニと一緒だが家を出て行く。

ヴァンニ:アントニオ・ミカーレ

アルフィオ:サルヴァトーレ・ヴィカーリ

弟達。この兄弟は見たところ、成人した男が上の2人。まだ未婚の女性が2名。ヴァンニ以降生まれたばかりの赤ん坊も含め全て7名が父母の子である。だが、その父は既に病気で死んでしまった。

祖父:ジョヴァンニ・グレコ

この祖父が家長であるが、既に息子に継承され、さらに孫のウントーニの権利となっているのか、或は祖父が孫の言いなりなのかよくわからない。

ドン・サルヴァトーレ:ロザリオ・ガルヴァーニ

地元の巡査部長。ウントーニの妹のルチアを愛人にする。

ウントーニの妹1 、真面目な娘。敬虔なクリスチャン。

ウントーニの妹2、派手を好む女。巡査部長の露骨な金による誘惑に負ける。

この時出たのが妹1のあのセリフ。

「貧乏なんだから名誉を大切にしないと」

貧乏だからこそ、子供の人生を売るもんじゃないって言ってるんだ。分かった?この妹は自分で判断したわけであるが、生まれた時から親が判断していたとしたら、その子の名誉はどうなる?

末っ子(赤ん坊)

この悲惨な状況。

服は継ぎ当てだらけ。彼らの貧しさは、「自転車泥棒」でもそうだったが、真実なのだ。お金があれば彼等若者の人生を金持ちは自由にできる。でも、この赤ん坊を見よ!これがシチリアの希望だ。イタリア半島のサッカーボールを蹴った爪先にシチリアはある。貧しさが暴力を生み、マフィアを生んだ。でも、このでっぷりと太り笑う赤ん坊の清清しさを見よ。この映像の中で、存在感が突出している。ネオレアリズモである。

 

○1960年製作の「太陽がいっぱい」というアランドロン主演の映画がある。そう、太陽なのだ。イタリア映画の魅力は、この国の太陽と人々なのだ。

ただ、他の映画に比べ、怒りというかそういう激しさがなかった。共産党の統制の所為だからだろうか?

冷静なカメラワーク、それは常に見る側の気持ちを掻き立てる。

15時17分パリ行き2018年アメリカ

1517パリ行き2018アメリ🇺🇸

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あらすじ

2015年夏。554人を乗せてパリに向かっていた高速鉄道が、無差別殺人の舞台となった。そして当時、列車に乗りあわせていたヨーロッパ旅行中のアメリカ人の3人組。ごく普通の青年に過ぎなかった彼らは、危険を承知で武装した犯人に立ち向かう。」Google

 

監督:クリント・イーストウッド

 

この映画で重要な視点は、出演者である。3人のアメリカの若者は、このパリで起きたテロ事件に偶然乗り合わせていた普通の若者であった。この映画は当初、3人の職業俳優を当てる予定だったが、クリントイーストウッドの考えで、事件に関わった本人3人が出演した。何故、この映画に限って、本人に拘らなければならなかったのだろう。それは「ごく普通の人々に捧げた物語」であると言うクリントイーストウッドの考えであった。映画を観終わるまで、そんな事には気が付かなかったが成る程、それで、映画終盤まで彼ら3人がのんびりヨーロッパ旅行をしている姿が延々と撮られている理由が分かった。むしろ、彼らの子供の時代がこの子はどんな子だったかなあとフィードバックする仕組みになっている。

 

スペンサー・ストーン  (スペンサー・ストーン)男

アレク・スカラトス  (アレック・スカラトス  )男

アンソニー・サドラー  (アンソニー・サドラー  )男

 

そうゆう意味では、この映画は実験的な要素が強い。このレビューでも何度か不満を書いているが、「この映画は〜事件にインスピレーションを得て云々」「実際にあった事件に影響を受け云々」そうゆう純粋に映画を楽しみたい人間にとって、雑音に過ぎない要素はなるべく排除したい。私は、この映画が終わった時点で初めてクリントイーストウッドの作品だと知った。殺人なのか、テロなのか、恋愛なのかなんだかわからない。なんかなあ、この映画変だなあ、と言う違和感、何の映画だかわからないのに、心ならず最後まで付き合ってしまうこの体験。いつも思うのはクリントイーストウッドの持っている映画を作る卓越した腕だ。写経のような落ち着きだ。

やっぱり映画はその前情報をあまり持っていない方が良い気がする。

ただ、この映画はそうゆう実験的要素があり、感動とまでは行かなかったのは残念だ。ただ一点、この少し前にヨーロッパに行った者の感想として、「今のヨーロッパって、こんなに綺麗か?」と言う疑問である。少なくともドイツだけでは無いはずだが、それが描かれていないのは不満だ。ヨーロッパの移民問題はつまりは、彼ら自身が作った植民地時代が今輪廻して帰ってきたことで、ヨーロッパは何を犠牲に豊かさを謳歌して来たのか、と言う事だ。クリントイーストウッドはメキシコの移民の問題を以前にやっており、ヨーロッパに関しても、その視点が(ストーリーがブレるのが嫌だったのかも知れないが)欲しかった。だって、主人公の彼らはこれだけ色々なヨーロッパを旅行した。移民の屯している街を見ていない訳が無い。