migihanshin’s blog

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A Cicatriz 1976 ポーランド

 

A Cicatriz 1976 ポーランド🇵🇱

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トリコロール」三部作で知られるポーランドの巨匠クシシュトフ・キエシロフスキー監督。本作は、ドキュメンタリー監督として活躍していたキエシロフスキーによる初の劇場長編作。ポーランドの地方都市オレツコでの工場建設をめぐり、地元住民と工場運営側が対立。その狭間に立つ、オレツコ出身でありながら、工場の監督官に任命されたベトナシュの苦悩を描く。」Wikipedia

 

Wikipedia

 

スターリン死去のポーランド

スターリン死去後、反スターリン派が出没して、1956年ズナン暴動が発生したが、暴力的に鎮圧された。

同年10月31日、統一労働者党書記長に就任したゴムウカは非スターリン化の独自路線を打ち出す。スターリンの死後、東欧を支配していたスターリン主義(スターリニズム)からの脱皮とし、強制労働の廃止、農業集団化の廃止、ローマ・カトリック教会の迫害の停止、検閲の緩和などの改革を行う事によって解消することに貢献した。当初それを民衆は歓迎した。しかし、1968年プラハの春に対し、ソ連や東側諸国と共に軍隊を派遣した事や暴動鎮圧の手法などの点では他のソ連の衛星国の指導者達と変わりなかった。」Wikipedia

 

暴動とゴムウカの失脚

1970年12月、ゴムウカは経済悪化対策として食料品値上げを公布したが、クリスマス直前の値上げは市民による暴力的な反対運動を招き[10]、グダニスクレーニン造船所ではストライキが勃発した。 市内は暴動状態となりシチェチンなど国内各地へ波及した。同年12月17日、ツィランキェヴィチ首相は事実上の戒厳令とデモに対して発砲許可を出したことを表明。政府は暴動を「ならず者のしわざ」と位置付け[11]鎮圧に当たったポーランド軍は民衆に発砲、多数の死亡者が出た。

辞任したゴムウカの後任としてエドヴァルト・ギェレクが第一書記に就任する。ギェレクは労働者出身という触れ込みで民衆の支持を得ようとした。ギェレクは、工場整備と食料輸入を行なう事で経済回復計画とし、主にアメリカ西ドイツを中心とした西側諸国から莫大な融資を受け債務を負った。これらにより一時期は経済成長を実現したが、無計画な経済政策は急激で膨大な食品価格のインフレをまねき、これにより暴力的な抗議行動が各地に広まり多数の死者が続出、軍が出動して暴動鎮圧し終わった。このときの莫大な債務の余波は今日にまでに及ぶ。この経済成長は、1973年のエネルギー危機(オイルショックにより終了した。1976年、消費者運動政策の失敗から新価格値上げを行うが、再び暴動となり、再度暴力的に鎮圧した。[12]」Wikipedia

 

○監督 クシシュトフ・キエシロフスキー

クシシュトフ・キェシロフスキ (Krzysztof Kieślowski, 1941年6月27日 - 1996年3月13日) は、ポーランド映画監督。晩年はフランスでも活動した。」Wikipedia

 

○特筆スタッフ

 

○出演

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○言葉とシーン

大きなテスト

オレッコ化学工場

硝酸塩

工場の周り🏭塩か雪か

木 枯れている

 

○総評

この映画は面白くなかった。通常、面白く無ければ見なきゃいいじゃ無いか?と言う人もいるが、見てしまった。この映画エッセイでは、何故面白く無いのかも考えたい。そのため、上記に、Wikipediaのこの映画の時期のポーランド🇵🇱説明する記事を引用した。この共産主義体制とも、無秩序とも言い難い映画の本質がどこから来たものかは分かった。

ポーランド、僕はポーランド🇵🇱に大きな偏見を植え付けられていた。それは、その頃1997年、西ドイツ🇩🇪と言う国の人、数名からであった。場所はケルンである。この国の表面処理設備を購入するために行ったのだ。西ドイツ🇩🇪は、その後10年程して再訪したドイツ🇩🇪フランクフルトと違い、明らかに街は綺麗だった。サッカーチーム⚽️を持っており、彼等は試合を見せてくれた。そして、僕等を頻りに遊びに誘った。ポーランドに遊びに行こうと。あらゆる物価が10分の1だと言う。彼等の言う意味は正に買春の件である。

当時の西ドイツ🇩🇪は突出して、経済水準が高かったのだ。

この映画を見て思うのは、我々日本人が発展途上国を見る目、そして彼等発展途上国の知識人が逆に衒い、先回りし、自分の国を批判する寂しさである。それをこの映画に感じてしまった。

僕は、この映画はつまらないと思った。記録映画にもドキュメンタリーにもなっていない。大きな公害の問題もあったようだが、それすら訴えようという意志を感じない。

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この国の歴史を見れば分かる。この映画に当たる、ポーランド人民共和国。現在のポーランド共和国何が変わるところがあろう。何とも不可解な国。ワレサさんだけが印象に残っている。

映画の終わり方も中途半端で、辛かった。主人公のベトナシュは、一見典型的ホワイトカラー。皆が皆、彼に汚れ役を押し付けるが、そのベトナシュ自体が、受け付けない。結局、ベトナシュは何なのだ?と言う思いを抱きながら、彼の生活にズルズルと付き合ってしまう。

と言う訳で、残念な結果となった。もっとポーランド🇵🇱映画を見てみよう。

 

以上