migihanshin’s blog

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戦国無頼 1952年 日本東宝

戦国無頼 1952年 日本🇯🇵東宝

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○あらすじ

天正元年、織田信長の大軍に包囲されて、浅井長政小谷城が陥ちたとき、その家臣で風雲の志をもった佐々木疾風之介、立花十郎太、鏡弥平次の三人の武士には、異った運命が待っていた。十郎太は疾風之介の恋人加乃を托されて信濃におち、二君に仕えずの気持から討死を覚悟で敵陣へ斬り込んだ疾風之介も弥平次も離れ離れなってしまった。疾風は深傷を負って倒れているのを野武士の藤十の娘おりょうに助けられた。おりょうは疾風に想いを寄せ、その小屋へ忍んで行った。これを知って斬りかかった藤十を疾風は心ならずも刺して逃げた。弥平次も生き永らえて海賊になっていたが、ある日子分の連れて来たおりょうを救った。一方十郎太は、加乃と共に研師惣治の家に厄介になっていたが、次第に加乃への思慕と共に功名心をつのらせ、かつての敵方織田家へ仕えた。」映画.com

 

Wikipedia

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○監督 稲垣浩

 

○特筆スタッフ

 

○出演

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佐々疾風之介:三船敏郎

立花十郎太:三國連太郎

鏡弥平次:市川段四郎

 

○ワード & シーン

疾風は一緒に居てもいつも遠い雲を見ている。

会うのは会いたくない奴ばかり

 

○総評

この映画は、僕は黒澤明の映画だと思って選んだ。ところが、稲垣浩の映画だった。黒澤明は脚本を書いただけ?であった。この作品の最大の問題点は正にここである。登場人物の3人のキャスティングが余りにも「無頼」なのだ。

①佐々疾風之介:三船敏郎

②立花十郎太:三國連太郎

③鏡弥平次:市川段四郎

一体彼等はどの様にこの戦国を生きて、死んで行こうとしているのかさっぱりわからない。もしかしたら、この作品を作っている、稲垣浩黒澤明自体がバラバラなのかも知れない。大体、映画の題名を見て欲しい。「戦国無頼」である。ポスターを見てほしい。ポスターの中心が虚ろに無頼である。

 

無頼とは

「[名・形動]

正業に就かず、無法な行いをすること。また、そのさまや、そのような人。「無頼な(の)輩やから」

2 頼みにするところのないこと。

単孤―の独人になりて」〈十訓抄・二〉」コトバンク

 

言葉どうりの映画なのだ。3人の主人公の何を頼りに映画を観るべきかわからない。もしかして、「戦国無頼」と言う題名すら、黒澤のウィットに見えてくる。この2人の不仲説はない様であるが、これだけの大監督2人に何があったのだろうか?

ところで、この映画レビューは「極私的」を売り物にしているので、極私的に僕の悲劇を振り返る。

僕は大学で、映画サークルに居て、自主制作の8ミリ映画をニ本撮った。一本目は「男の蜜」と言うホモを題材にした短編映画だった。これは自分で役者以外何もかも行い、ジャニーズ報道にレアリズモで負けるが一本目にしてはよく出来た映画だったと思っている。

二本目は、「おつう」と言う30分くらいの映画で、監督は僕の大学の後輩が行い僕は脚本をやった。千葉成東海岸で、ロケハンまで行った。そして結果的にこの映画は「無頼」だった。1人の男優と3人の女優に参加してもらい小泉八雲の原作を元に作った映画だが、最終的に僕の気が小さく、NHKに就職した後輩の押しが強く、何とも言いがたい無頼な映画になってしまった。僕は映画で身を立てるのは諦め、東南アジアの某国に飛んだ。自分のがの弱さにはつくづくウンザリする。

今思い出すと、あの頃のトラウマが蘇る。

あの頃の弱い自分がまるで疾風の様に蘇る。

 

合掌