山猫 1963年 イタリアフランス
あらすじ
「イタリアの巨匠ルキノ・ビスコンティの代表作で、第16回カンヌ国際映画祭で最高賞(グランプリ)に輝いたドラマ。日本では1964年、短縮された英語版で初公開された後、81年にイタリア語のオリジナル完全版が公開されたがプリントの状態は悪かった。そのイタリア語完全版を、撮影監督のジュゼッペ・ロトゥンノ監修のもと復元させたのが「イタリア語・完全復元版」で、2004年に公開された。16年、ビスコンティ監督の生誕110周年、没後40年を記念した特集上映「ヴィスコンティと美しき男たち アラン・ドロンとヘルムート・バーガー」では「山猫 4K修復版」として、「イタリア語・完全復元版」を初の4K映像で劇場公開。19年には「4K修復版」が35ミリプリントとデジタルで同時上映。統一戦争に揺れる1860年のイタリア。シチリア島を長年に渡って統治してきた名門サリーナ公爵家にも革命の波が押し寄せる。貴族社会の終焉を感じながらも優雅な暮らしを続ける公爵は一家を連れて避暑地へと向かうが、革命軍の闘士となった公爵の甥タンクレディが、新興ブルジョワジーの娘アンジェリカと恋に落ちてしまう。」映画.com
○所感
最初、ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター
の別荘が出てくる。このカメラワークに驚かせられる。これだけでお腹いっぱいで、ここのところ数編ヴィスコンティの作品を見たが、大勢のエキストラ、壮大な山、神がかった海、この全てに対峙する、限りあるちっぽけな人間の建物に感動する。本当に、少しの隙もない。また、戦争シーンもそうだ。イタリアンネモの真骨頂を大いに見せ付ける。
「第6章の舞踏会の場面が全編のおよそ3分の1を占める。」Wiki
映画は3時間、その後半一時間が、貧乏人にとっては疲れる。社交ダンスを知らない者には疲れる。もうちょっと、何とかならなかったか?このダンスで、何を表現したいのか分からない。或いは「無」を表現したかったのかも知れない。巨匠だから許されるのだろう。
イタリアの歴史の一幕を、イタリアの総力を持って作った映画。なのに、
監督はイタリア人
主演のドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター はアメリカ人
共演のタンクレディアラン・ドロンは、フランス人と言うのも面白い。
トマトゴメン。Mi dispiace / ミ ディスピアーチェ / ごめんなさい。
○監督:ルキノ・ヴィスコンティ
○音楽:ニーノ・ロータ、ジュゼッペ・ヴェルディ(ピアノのための『ワルツへ長調』を編曲)
○出演
○ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター
この人の良き時代があった。そしてそれはもうこれ以上続かない事は分かっている。そんな未来を甥であるタンクレディアラン・ドロンに継ぐ気持ちはどうであろう。未来への希望に胸膨らませ、彼に踊りを乞うアンジェリカクラウディア・カルディナーレ。全ては虚構に見えるに違いない。あの美しい別荘でさえ、戦争が終わり、埃塗れだ。誰が掃除をするのか?
○アンジェリカクラウディア・カルディナーレ
市長ドン・カロージェロ・セダーラパオロ・ストッパの娘。イタリアの未来を担う市民階級、新興ブルジョワジーである。貴族の作法など知らず大胆不敵。タンクレディアラン・ドロンを婚約者から奪う。恋に落ちたとは思えない。
○タンクレディアラン・ドロン
こんなに若々しいアランドロンを初めて見た気がする。それくらい、若い。演技も初々しい。彼は、叔父と同じ貴族階級でありながら夢を持ってる。そして、ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター
の娘では無く、ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター
容認の元市長の娘アンジェリカクラウディア・カルディナーレを選ぶ。戦争に行く。(この婚約者乗り換えが戦後だったと思う。ここがこの映画の大きなポイント?)
戦争に行ったお陰でイタリアの未来を担う人間となり意気揚々だ。何故、叔父のドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター が、機嫌が悪いのか分からない。
○コンチェッタ
ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター の娘。市長の娘アンジェリカクラウディア・カルディナーレにタンクレディアラン・ドロンを取られてしまう。しかもそれは、父も認めているようなのでショックを受ける。化粧が古代エジプトみたいだ。
○ピローネ神父ロモロ・ヴァリ
ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター
に政権の中枢に行くよう説得に来る。…間違いかもしれない。
○ガルバルディ軍将軍ジュリアーノ・ジェンマ
勝ち将軍。成る程、これを知っていれば、ドン・ファブリツィオ(サリーナ公爵)バート・ランカスター の憂鬱は分かる。
「ジュゼッペ・ガリバルディ(イタリア語: Giuseppe Garibaldi, 1807年7月4日 - 1882年6月2日)は、イタリア統一運動を推進し、イタリア王国成立に貢献した軍事家である。イタリア統一を進めるため、多くの軍事行動を個人的に率いた。ヨーロッパと南米での功績から「二つの世界の英雄」とも呼ばれ[1]、カヴール、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の一人とされる。」Wiki
「1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し両シチリア王国を滅ぼした。その後、征服地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上してイタリア統一に大きく貢献した。その後は政治家となることなく、余生をカプレーラ島で送った。」Wiki
○イタリア映画の背景
さて、イタリアって長靴と、ピザ、パルマハムとブスケッタ、食べ物しか思い浮かばない。この映画の時代背景を見てみた。
「イタリア統一運動(イタリアとういつうんどう、イタリア語:Risorgimento リソルジメント[1])は、19世紀(1815年 - 1871年)に起こった、イタリア統一を目的とした政治的・社会的運動である。」Wiki
この時代にこの映画の舞台がある。そう思うと、あの一時間のダンスシーンも意味を成す。でも、僕の考えでは、映画を見る前に要らない情報は持たずに入るポリシーなので仕方ない。
大体、あの有名なシシリー島さえどれだか分かっていないイタリア音痴だ。イタリアって、〜革命と言うところで考えると複雑な流れを辿ったのだなと思う。国の体制は変わっても、公爵は残り、そしていつまた変わるか分からない不安定な状況にあったのだ。
また、シチリアは地図から見たら、島をはみ出て大きな領土を持っていた。何でここからゴッドファーザーのような明るい中に物悲しげな文化が育ったのだろう。その憂鬱を演ずるのがバート・ランカスターと言うアメリカ人なのは、ひとつのポイントかもしれない。
あなたはシシリー島の人、シシリー島の出身なのに、出身である事を埃に思って居るのに何故かそこに住まない。その憂鬱。
イタリア人の明るさは、暗く深い。
また見よう。
最後にもひとつ引用。
山猫
「ヤマネコ(山猫)は、ネコ目(食肉目)ネコ科に属す小型動物を指す便宜的な呼称である。また通常は野生(すなわち家畜化を経ない)のものを指す。」Wiki