永遠のゼロ 2014 日本
「帰れ死ぬなそう言って祖父はゼロ戦と死んだ」
今からもう70年が過ぎている。
自分が生まれたのはゼロ戦から20年後だった。
私ごとではあるが、
自分が小学校の時にいたのは、
ここに米兵の家族が沢山住んでいた。
あの人達と私達は、
よく口喧嘩をして、
最後の捨てゼリフは
金髪の少女のこれだった。
“だって日本はアメリカに負けたのよ。
しょうがないじゃあない。”
何の理由で喧嘩したか分からないが、締めはこれ。
うちの父方の祖父は、ブーゲンビルと言う、
パブアニューギニアの島で戦死した。
総員6万、戦死3万人の殆どが餓死、病死ということだ。
じいちゃんは、腕のいい宮大工がどう亡くなったのか知らない。
父方お婆ちゃんも、父も、暴力を振るわれていたので、
亡くなって、ホッとしたそうだ。
うちの母方のお爺さんは、戦争中大連でアジア号
という機関車を運転していた。
日本が負けて大連から逃げる時、
ロシア人に刺された。
ソ連が日ソ中立条約を破り、
攻めて来たからだ。
永遠のゼロに関わらず、
僕のような平凡なウチでもこんなに物語がある。
この映画は見た人々に、
自分もまた太平洋戦争の主役の一人だ。
と思わせる映画だ。
もうギリギリだが、
黙っているのは罪だと言ってるのだ。
戦争礼賛のためじゃない。
じいちゃん、ばあちゃんの生きた証のためだ。