ガラスの中の少女 1960年 日本
あらすじ
「靖代は大学助教授の杉太郎の娘だが、杉太郎は実の父ではなく、母と戦死した実父の間の娘の15歳である。彼女は、貧しい家に育ち、酒飲みの父を持ちながらアルバイトでがんばる青年・陽一と親しくなってゆく。」Wiki
(あらすじだが、今回に限り半分で割愛した。ネタバレのため。)
監督: 若杉 光夫
○浜田光夫 (Yôichi Hiroe)男
小さな工場(こうば)、プレスか?で働く洋一。
学校は辞めてしまって、日がなこの工場でプレスを踏んでいる。
親父は酒飲みで、息子の稼ぎに期待している有様だ。
弟がいるが未だ小さい。
今にも事故が起きそうな危ない工場だ。
○吉永 小百合 (靖代)女
大学助教授の杉太郎の娘。
吉永小百合の純愛シリーズは、ほぼ1960年代に70本の日活映画であった。この映画は、その中でも初期に当たる。純愛、純朴、純という言葉がぴったりだ。また、この頃は華奢な感じもする。
役の彼女は、戦争片親なのだ。そしてお母さんと一緒に新しい父である大学助教授と暮らしている。大人は、この事を靖代が知らないと思っているが、本人は知っており思春期に入り、父との間には、見えない傷が広がっていた。
○信欣三 (杉太郎)男
先生とか、教授とか言う人種は、家にいる事が多い人種だと思っている。(そうじゃない人はすみません。)自分の都立高校の教師の親父の例から言うと、結構時間がある。担任が無ければ週の3日は家にいる。結構暇だ。会社勤めとはここが違う。父の場合で言えば結構好きだ。好色ではない。そういう本やら、写真を部屋の奥の使わなくなった旅行鞄なんかに隠し持っている。まして、父は都立高校の教師なので、学生から没収した所謂エロ本を沢山ストックしていた。僕は親父の不在時によく忍びこみ盗み読みした。
でも表向きは当然、立派な職業である。大学助教授となれば事の皿。(杉太郎がそうだとは言っていないが)もう父が亡くなったので言うのではない。僕の親父の名誉の為に言うと、だから何なのだ?という事になる。しかし、社会と特に女性は重視する。この大きな落差。この映画で本の1シーンあった父と娘の相克が、そこまでを語っているものならば、凄い映画である。だが、二人が死んだ後、助教授は心中とは死ぬ前に一発性行為をするものという固定観念があり、思わず口をついて出てしまうのだ。純粋さを保つ為に死ぬという観念は先生にとってフィクションなのだ。どちらを責める事も出来ない。愛と性がある以上仕方がない。でもあの二人は純愛だったのである。
○轟 夕起子 (Satoko Okinaka)女
靖代の本当のお母さん。
○ここのところ、あまりにも多くの吉永小百合の映画を見ている。吉永小百合を分かったつもりになっていたので、Wikiって見た。
「「日活の看板女優」として、浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こす。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に『キューポラのある街』や『愛と死をみつめて』は世間から熱い注目を集めた。
ブロマイドが、あまりの売れ行きに店頭から姿を消すなどの現象も起き、松原智恵子と和泉雅子の3人で「日活三人娘」と呼ばれた。
また、浅丘ルリ子、芦川いづみ、中原早苗らと合わせて「パールライン」とも呼ばれた。」Wiki
1967年に生まれた僕にとって、吉永小百合は典型的な清楚美人であった。