migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

シャレード 1963年 アメリカ

シャレード 1963年 アメリ🇺🇸

🍅🍅🍅

 

あらすじ

「スキー場からパリの自宅へ戻ってきたレジーナ(ヘプバーン)を待っていたのは、離婚予定だった夫の死。葬儀の会場には見知らぬ三人の男が現れ、大使館では情報局長(マッソー)から、戦時中に夫が軍資金25万ドルを横領していた事を聞かされる。五里霧中のレジーナはスキー場で知り合ったピーター(グラント)に助けを求めるが、彼もまた三人組の仲間だった……。数々のミュージカルを手掛けてきたS・ドーネンが、その洒落たセンスを活かして作り上げたミステリー・コメディの傑作。H・マンシーニのメロディが怪しくも美しい。」all cinema 

 

○所感

思ったよりも面白く、思ったよりも期待外れな映画。

これが正直な感想だ。

それと、この映画はつい最近レビューした「アリバイの無い男 1953年 アメリ🇺🇸🍅🍅🍅」に構造が似ている。それをシャレードジェスチャー・ゲーム」でしつこく味付けした感じだ。

 

ジェスチャーゲームとは

「子ども自身が身振り手振りしながら思いのままに表現できたり、頭を使って回答することから、想像力や表現力、コミュニケーション能力を育むことができるのが魅力です。 また、お題によって難易度を変えることができるので、幅広い年齢の保育に取り入れやすいのも魅力といえるでしょう。2022/06/01」

 

シャレードの元の意味は「ジェスチャー・ゲーム」のことらしいですが(オードリー・ヘプバーン主演の映画『シャレード』は、この意味でしょう)、脚本の手法としては、「言葉に頼らず、何かに託して表現すること」というような意味です。 「説明ではなく、映像で表現すること」全般を意味していると考えていいでしょう。2015/01/28

http://ozakimasaya.jp › post-51

「シャレード」はドラマを面白くする鍵 | Blog | 脚本家・映画監督 尾崎将也 OFFICIAL SITE

 

ところが実際には、拙いユーモア、ウィット、諧謔に落ち着いている。この事は最後に説明。

 

オードリーヘップバーンは何しろ美人であるが、オードリーヘップバーンにシリアスなドラマは向いてないらしく、そうなるとこの映画の売りは、如何に洒落ていて、オチが効いているかという必要がある。それが足りない。狙ったシュールな面白さは、ところどころにあり、最初のオードリーヘップバーンの旦那の葬式のシーンは良かった。これで期待を持ったのだが、この後が不味い。ウィット、ユーモア、諧謔に必要以上に満ち溢れた映画。

 

○監督・製作:スタンリー・ドーネン

 

○出演

実は、何でこうなのかわからないが、キャスティングが、映画の構造が異常に「アリバイの無い男 1953年」に似ている。

 

「アリバイの無い男 1953年」あらすじ

「ティモシー・フォスター(プレストン・フォスター)はカンサス・シティの南西銀行襲撃を企てお尋ね者の3人、ピート(ジャック・エラム)、トニー(リー・ヴァン・クリーフ、ボイド(ネヴィル・ブランド)を仲間にした。彼らは覆面をしてお互いに顔を見せないことにした。警察をまいて襲撃に成功した後、フォスターは仲間に、ほとぼりがさめたら獲得した大金を山分けしようと、秘密の目的地行きの切符と仲間の印として破ったトランプをわたした。いっぽう、花屋のトラックを運転するジョー・ロルフ(ジョン・ペイン)という男が、この犯罪に知らぬ間に関係させられていた。」映画.COM

 

これの何処が似てるのと思うだろう。しかし、見たらそう思う筈だ。

今回はその構造について説明する。

 

○レジーナ・ランパートオードリー・ヘプバーン

パリで旦那チャールズに突然死なれた未亡人。

誰を信じていいのかわからない。

なお、最初のシュールな旦那の葬式を見て置かないと、後々困る。

以下は誰を信じていいかの「誰」4人?。

 

○ピーター・ジョシュアケーリー・グラント

ジーナ・ランパートオードリー・ヘプバーンに寄って来て、助けになりたいと申し出る。彼女は彼を信じたり、騙されたり右往左往する。

 

以下、レジーナ・ランパートオードリー・ヘプバーン

の死んだ旦那のお金を狙う3人。

 

悪①テックス・ペンソロージェームズ・コバーン

荒野の七人』(1960年)

大脱走』(1963年)

輝かしい大助演俳優。この悪3人にアクセントを置いている辺りが、「アリバイの無い男 1953年」に似ている。

 

悪②ハーマン・スコビージョージ・ケネディ

顔を見れば、あああの人と分かる助演の王様。

特に日本人には「人間の証明」だ。

 

「1977年、佐藤純彌監督の『人間の証明』、1980年、深作欣二監督の『復活の日』など日本映画にも出演していた。どちらの作品も角川春樹のプロデュースにより、国際的な出演者および撮影地を特徴としていた。ケネディは非常に熱心に取り組んでいたが、当時日本では『人間の証明』のみ公開され、『復活の日興行収入的に成功せずアメリカでは打ち切りとなった[11]。Wiki

 

何かあったらしいが、この映画は4つトマト🍅🍅🍅🍅評価の、いい映画だ。後半はジョージケネディ松田優作の映画と言っていい。

 

悪③レオポルド・W・ギデオン(ネッド・グラス)

この人はよくわかりません。禿げている。

 

そして警察だ。

○ハミルトン・バーソロミューウォルター・マッソー

OSSとかCIAとかのお方。

マッソーと言えば、「頑張れベアーズ」である。

 

アメリカ西海岸の町にある、問題児ばかりを抱えた弱小少年野球チーム「ベアーズ」。そんなベアーズを、かつてマイナーリーグで活躍していたプールの清掃人・バターメイカーがひょんな事情から率いることになり、彼とチームメイトたちが奮戦しながら勝ち抜いていく姿を描いたメディ作品。

ウォルター・マッソーヴィック・モロージョイス・ヴァン・パタン、メンバー役でジャッキー・アール・ヘイリーテータム・オニールなどが出演。」Wiki

 

「頑張れベアーズ」と言えば、テータム・オニールで、

テータム・オニールと言えば、テニス🎾プレイヤーのジョンマッケンローである。マイケルジャクソンとも❤️だった。

 

エドアルド・グランピエール警部ジャック・マラン

ここはフランスだよ🇫🇷パリだよと一人主張するこの人。

 

○と言うわけで、この映画の構造は分かったと思う。

ではシャレードの意味も分かって、この映画の狙いが分かった。最高の美人を使って、最高の俳優、助演陣でお洒落な映画を作ろうとしたのも分かった。そしてそれが見事にコケていると感じた。シャレードと言うゲームは、拙いユーモア、ウィット、諧謔に落ち着いてしまっている。残念!

 

「ユーモア(: humor、: Humor, フモーア)とは、人を和ませるような《おかしみ》のこと[1]。日本語ではこうした表現は諧謔(かいぎゃく)とも呼ばれ、「有情滑稽」と訳されることもある[2]。」Wiki

 

「ユーモアの成立要件(愉快と不愉快を分ける原理)

ある表現が、ユーモアとして見事に機能して愉快に感じさせ受け手を和ませるか、そうならずに反対に受け手を不愉快にしてしまうかは、つまるところ、表現者(書き手、話し手)の力量にかかっている。 概説でも解説したように、ユーモアには「センス」が必要であり、ユーモアのセンスというのは、聞き手と自分を対等に扱う、という心の姿勢であり、また、受け取り手にとっては自分が使おうとしている表現が一体どう感じられるかということを相手の身になって想像すること、「思いやり」である。

表現者の側が一方的に、自己本意に、手前勝手にユーモアのつもりであることを表現していても、受け手の立場や心情に対する思いやりが足りないと、受け手の側では、「気が利いてない」あるいは「全然おかしくない」あるいは「不愉快だ」「腹立たしい」などと感じられる場合があるわけである。

例えば、知的なセンスの誇示の手段としてユーモアが用いられた場合、結局は自己顕示(自分だけは、人々よりも、またあんたよりも優れている、対等じゃない、との暗示)となり、聞き手からすれば、en:pedantry衒学趣味知ったかぶり)をして私を不愉快にした、と感じられることになる。」Wiki

 

僕は、大阪の会社で初めてこのユーモアを体験して、そのまま某国に首を絞められたので、関西に印象が悪い。でも、東京にいた子供時代は感じた事の無い感覚で、ビートたけし志村けん、ドリフ、サンドウィッチマンにも感じた事の無い感覚。あれは、ユーモアでも諧謔でも無かった。やすきよにも無かった。ダウンタウンは面白かったが、これの出来る若者を取り巻きにした。出来ないものを寄せ付けない。悲しい。僕はよく大阪の人に「キツう」と言われた。あれは、馬鹿にされていたんだなと馬鹿が後で気付く。そうゆう寂しい話術だ。ダメな話術を嘘と言う。

 

シャレードの効果とは?

シャレードとは、間接表現の意。 脚本については<映像に映る“何か“を象徴として示すことで、言わんとする意味を伝達すること>です。 簡単に言えば、言葉でなく映像で語らせるということです。 この理論を使えるようになると、説明臭くなく観客や視聴者へその意味を伝達することができます。2017/07/26

https://www.scenario.co.jp › online

シナリオの書き方指南|「シャレード」という脚本理論」

 

引用が多くすみません!