ロビンソンの庭 1987年 日本
あらすじ
「クミは緑のある住宅街の一画の外国人ハウスに住んでいた。彼女は定職をもたず、ドラッグを売買したりしながら生活している。ある日、ボーイフレンドのキイと友人のマキと一緒にアフリカ料理店で食事をした。最近、世の中がおかしくなってきており、クミの仲間にも捕まる者や入院する者が出てきている。マキは地軸が狂ってきたのが原因だといい、タイのコサムイに脱出しようと提案した。酔っ払って帰る途中でクミは緑に囲まれた廃墟を見つけ、中へ入ってみた。するとなんだかそこが自分の家のように思えてきた。翌日、早速、廃墟へ引っ越してきたクミ。持ってきたのはいくつかの家財道具と観葉植物だけである。クミは畑をつくってキャベツを植え、部屋の壁にはペインティングを施し、夜は屋上で星を眺めたりしながら快適な生活を送っていた。」
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「外国人ハウスに住んでいた女があるとき樹木の生い茂る都市の廃墟に移り、緑に支配されていく姿を描く。山本政志と山崎幹夫の共同脚本に内田栄一が脚本協力の形で参加。監督は16ミリ作品「闇のカーニバル」の山本政志、撮影は「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のトム・ディッチロと、苧野昇がそれぞれ担当。2019年7月20日よりデジタルリマスター版が公開(配給:コンチネンタルサーカスピクチャーズ)。」
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○所感
1987年と言えば、僕が大学に入り「上映センター」と言う映画サークルに入った年ではないか?サークルの名前の通り、上映であるから、映画を上映するのが趣旨のサークルであった。今思えば、未だ学生運動の名残りのあった僕の大学でサークルの部屋があったということは、そうゆう北朝鮮から来た映画を上映していたのかも知れない。
でも、サークル内は色々な班に分かれ、日本映画を中心に見る日本映画班、アメリカ映画班、ヨーロッパ映画班、と分かれ活躍していた。映画製作班と言う班もあり、この時初めて僕は、情熱さえあれば、映画を自分で作れる事を知った。
8ミリと言うフィルムに撮影し、富士フィルムで現像した其れをばちばち切り離し再び繋げる。そして、そこに音を吹き込む。今のコンピュータを使ったホームヴィデオでは、思いも寄らないマニュアル作業。でも、それで自分の世界が作れるのだから、驚きだ。俳優の卵は幾らでもいるし、何なら自分が演技をしてもいい。これをこのサークルで覚え、少なくとも自分の作品と呼ばれるものを2作作った。
結論>駄目だコリャ。
当時、先輩の何人かは実際にレベルの高い映画を撮っており、どう考えてもこの「ロビンソンの庭」より良かった。大学映画サークル交流の上映会も頻繁に行われており、出不精の僕でさえ観に行ったが、結構なレベルだった。今のCM作家の片手間の〜委員会映画より余程、志は高かった。これが、駄目だと思った第1の理由。自分の作った一作目は「男の蜜」と言う短編。こんないい加減な映画でも評価してくれた優しい世界。
そして、もう一つの原因は2作目だ。映画は自分のやりたい事を徹底的に押せる人間じゃないと駄目だ。2作目は、我の強い後輩と30分くらいの本格的な映画を撮ろうと言う事になり、女優も卵が3名、千葉の海に行きロケハン迄して、僕が脚本を担当したが、もうあのビデオが何処に行ったのか知らないが、最悪の出来だった。やりたい事が沢山あったのだが、脚本は悉く無視であった。僕には無理だ。と思った。
映画は自分の我を徹底的に通すか、周りを自分に丸め込んでいく才能しかない。そんなものは自分にはない。と、思った。しかも、一緒に撮った後輩も、映画を心から愛した同輩も、僕の逆コネで、一流マスコミに行きたかっただけの超偽善者だったと25年後の今分かったので、映画の道を進まなくて良かったと思った。
皮肉でも何でもない。僕のパーソナルヒストリーの方が、この映画より余程面白い。このプロットを考えた人は、王様の思惑どうりに完璧なシナリオを書き上げ、その国の7000万の国民はそれを忠実に演じたに過ぎない。これが夢である事を祈るばかりだ。
思えば、この映画が初上映された時、「僕」と言う映画は未だクランクインも上映もされていなかった訳で、そうゆう意味でも、この映画は今イチだ。コサムイとか、お祭りとか、黒人、アフリカ、そうゆう映画にメリハリを持たせるワードが飛び交い、監督のコメントも五里霧中だ。特に後半の踊りは辛い。
「山本政志監督コメント
従来の映画に囚われず、作りたい映画を、作りたいやり口で生み出したい。そんな意気込みで、初の35mm作品に挑んだ。映画は一人では作れない。集まってくれた大吟醸のスタッフ&キャストから大きな力を得て、「ロビンソンの庭」は誕生した。“都市の中の緑”を描くため、樹々の発色には気を使った。都市の毒性をも養分として吸収し、繁殖し、再生していく“都市の中の緑の力“を表現できる色。テスト撮影を執拗に行い、現像方法も含めて数十種類の映像パターンから、緑の基本トーンを決定した。
幸福なことに、現在のデジタル技術で、今回上映当時の色彩をよみがえさせる事ができた。体感済みの方も未体感の方も、より多くの人に、再生し新たな命を吹き込まれた「ロビンソンの庭」と出会ってもらいたい。「ロビンソンの庭」は、確実に時代を越境する映画なのだから。 」
配給会社 株式会社 シネマインパクト
○監督 山本 政志
○出演
今回はレビューしません。
この映画は、劇中の人間関係を時代と共に超越しているから。
○この映画のポスターである。
この上の方にある〜賞が嫌いだ。位置だ。プライド無いのか権威主義か?こんなの入れなくてもいいじゃないか?映画のコンセプトは悪くないが、映画の賞に対するコンプレックスに、欧米コンプレックス迄匂って、何処が時代の超越か?
よくこうゆう映画が多くて、気になったので、調べてみた。
❶ベルリン国際映画祭zitty 賞
ベルリン国際映画祭(ベルリンこくさいえいがさい、独: Internationale Filmfestspiele Berlin, 1951年 - )は、ドイツのベルリンで毎年2月に開催される国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭。カンヌ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭と並び世界三大映画祭のひとつに数えられる[1]。ドイツではベルリナーレ(Berlinale)と呼ばれることが多い。
❷ロカルノ国際映画祭審査員特別賞
ロカルノ国際映画祭 (ロカルノこくさいえいがさい、伊: Festival internazionale del film di Locarno, 英: Locarno International Film Festival)は、スイス南部、イタリア語圏のティチーノ州ロカルノで、1946年から毎年8月に開催されている国際映画製作者連盟 (FIAPF) 公認の映画祭である。
❸日本映画監督協会新人賞
日本映画監督協会新人賞(にほんえいがかんとくきょうかいしんじんしょう)は、日本映画監督協会が映画監督に対して贈る賞。その年度に公開された映画作品の新人の監督から選ばれる。DGA(全米監督協会)の様に、助監督・製作担当までが一つのチームとしてノミネートされる事はなく、映画監督のみに贈られる賞。発表時期は対象年度の翌年の毎年2月下旬〜4月中旬だったが、現在は毎年8月下旬に発表される。
映画賞が悪いとは言わない。ただ、自分の感性は信じたい。面白くないものは面白くない。それが、カンヌ映画祭であっても。
特に日本映画監督協会新人賞の受賞作品を見てみよう。
大島渚が第一回。昔観た覚えはあるが、記憶が…
この賞は元々若者の心の叫びが多いのだ。
何故、家族ゲームの前後年は、受賞作品がないのだろう。
「ゆきゆきて、神軍」は良かった。
「逆噴射家族」が無い。
「ロビンソンの庭」はある。
そして、トマトが腐りそうな映画、「カメラを止めるな」だ。これだから、賞を看板にするのはやめてほしい。時折逆効果になる場合もある。
今回は映画エッセイの立場から言いたい放題書いてしまった。懺悔せねば!
合掌