migihanshin’s blog

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「WOOD JOB」〜神去なあなあ日常〜 2014年 日本

「WOOD JOB」〜神去なあなあ日常〜 2014年 日本🇯🇵

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あらすじ

「高校卒業後の進路を決めていなかった平野勇気は、卒業式終了後に担任から就職先を決めておいたと言われ、母親からは恥ずかしいポエムを暴露すると半ば脅される形で家を追い出され、どんな仕事をさせられるのかも分からないまま、三重県の神去村へとやってくる。

列車を乗り継いで着いた先は、見渡す限り山が続く、ケータイの電波も届かない田舎。勇気が就職することになったのは、中村林業株式会社。山仕事に関しては天才的な才能を持つ飯田ヨキの家に居候しながら、ベテラン社員に付いて現場に出た勇気を待っていたのは、広大な山の手入れ。過酷な山仕事に何度も逃げ出そうと試みるもあえなく失敗、ヒルダニとの戦い、花粉症発症など、辛いことはたくさんあれど、それらを凌駕する雄大な自然に勇気は次第に魅了されていく。さらに勇気は、神去小学校の美人教師・直紀に高望みの恋心を抱き、玉砕しても諦めずに想い続ける。そして、神去村で48年に一度行われる神事オオヤマヅミに、勇気も参加することになる。」Wiki

 

○所感

映画の面白さの中に「映画は私たちが知らないところに連れて行ってくれる」と言うのがある。いつもいつも、心ならずもこき下ろす事の多いここの所の日本映画だったがこの映画は良かった。「林業」そう、林業が知りたかったのだ。そして、僕が唯一期待している平野勇気 - 染谷将太主演で、この映画の完成度は高かった。石井直紀 - 長澤まさみもあまり好きじゃないCM女優だが、抑えた演技と化粧と脂肪で見直しました。監督: 矢口史靖は、是非ともフォローしたいと本当に思った。丁度、この後、ヴィスコンティの「山猫」を見たので、役者と大風景の描き方に感動したが、考えてみれば、この映画も、素晴らしい自然と人を撮り込むカメラワークだった。

 

○監督: 矢口史靖

 

○原作者: 三浦 しをん

 

○出演

○平野勇気 - 染谷将太

この主演には全く異論がない。

今の日本人の若者が、如何に実力を持ち、如何に舐められ、如何に自分より年配の人に軽く見られ、如何に派遣以上の実力を発揮出来ず、如何に学歴で侮辱されているか?如何に、親の七光り、世襲縁故に絶望しているか?彼の演技にはそれをいつも感じさせ、それでいてクールだ。

僕は今回、こんな境遇にあってつくずく感じているのは、人間は平等だと言う事だ。この点に関しては揺るぎがない。そうでなければ、不敬罪などと言う念押しは要らない。共産主義は間違っていたかもしれないが、間違った方向に行ったのかもしれないが、資本主義が正しいと言う証拠ではない。そのうち株主優待の資本主義は食料の不足によって崩壊する。優柔不断のお人好しの補欠合格にも分かる事だ。卵🥚の高騰が全てを語っている。

 

○石井直紀 - 長澤まさみ

多分優れた役者なのだろう。でも昔から違和感があった。多分「真田丸だ。あのイメージが悪いのだ。彼女の所為では無いが、あの演技は不味かった。抑えた演技、それがこの人の本来の持ち味のようだ。「世界の中心で愛を叫ぶ」を見て見よう。

 

○飯田与喜(よき) - 伊藤英明

確かに、こうゆう肉体労働の世界は若者は耐えられなくなっているのだろうか?ガテン系と言うのだろうか?僕が学生時代も、そうゆうバイトがあれば、回避したものだ。僕なんかアルバイトについては徹底的に楽をした方だ。でもそれでも、お年寄りをお風呂に入れてあげるアルバイトに当たった。肉体労働+@だ。この@をつくずく感じている今日この頃だ。

 

神去なあなあ日常

この映画は色々と興味を焚き付ける映画だ。まずはこの言葉。

 

「かみ‐さ・る【神去】

〘自ラ四〙

天皇など、高貴の人が死去する。崩御(ほうぎょ)する。薨去(こうきょ)する。かんさる。神上がる。

書紀(720)神代上(兼方本訓)「伊弉冊尊、火産霊(ほのむすひ)を生みし時に子の為(ため)、焦(や)か所(れ)て神退(かむさ)りましぬ。亦は神避(カミサル)と云ふ」

神通力で消え去る。神通力を使って飛び去る。

浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)四「花のまにまに見えつ隠れつ神さる狐」

コトバンク

 

神去なあなあ日常」の意味は?

タイトルにもなっている「なあなあ」とは、コトをなあなあで終わらせるのようないい加減という意味ではなく、神去村の方言で「ゆっくり行こう」「まあ落ち着け」から「いいお天気ですね」「どうも―」まで表してしまう万能な言葉なのだそうだ。2020/11/20

https://note.com › s_t_k_b_t

神去なあなあ日常」は2時間の映画じゃ表現しきれない だって ... - ...

 

どうも、違和感がある。もっと知りたい気持ちを起こす。神なのか?神通力なのか?そこからだ。良い映画なのだが、なんかそうゆうところが突っ込みが弱そうだ。この神というのが、林業の中心にあるんじゃ無いのかしら。本来繋がっている糸を断ち切っているような?

 

○映画のクライマックスは「木」

これは見所あり。

 

大山津見神(おおやまつみのかみ)は、日本神話に登場するWiki

 

「『古事記』では大山津見神、『日本書紀』では大山祇神他に大山積神、大山罪神とも表記される。 別名 和多志大神酒解神

1972年8月調査では、神社本庁傘下の神社1万318社のうち、85%が「大山祇神」、9%が「大山津見神」、5%が「大山積神」と表記する[1]。」Wiki

 

「神木(しんぼく)とは、古神道における神籬(ひもろぎ)としてのをさし、神体のこと。また依り代神域結界の意味も同時に内包する木々。御神木とも称される。」Wiki

 

「神依木(かみよりぎ)、勧進木(かんじんぼく)等は神の依り代とされ、しめ縄などで特別扱いされている。社殿の無い神域などでは御神体として扱われている。ナギモチノスギなどが多い。

この他、伊勢神宮神宮スギなど景観維持や、荘厳さを醸し出すために依り代とは別に特別視された木などを神木扱いにしている場合もある。山などで仕事をする物にとって、山の神の依り代として目立つ木を一時的に神木とし、祀る場合もある。」Wiki

 

溢れる「神」と言う単語。たしかに、「木」と言うテーマは大変大きなテーマだ。でも、だからと言って便宜的な流れが多過ぎないか?神様に失礼じゃないか?そして、地方自治体に蔓延る、芸能、マスコミ、無条件降伏ムード。それを感じてしまった。映画の作りは優秀だが…委員会は大丈夫?

 

合掌