migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

オアシス 2002年 韓国

 

オアシス 2002年 韓国🇰🇷

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あらすじ

「9歳の青年ホン・ジョンドゥは、ひき逃げによる過失致死で2年6か月の刑期を終えて出所した。入所したときの半袖シャツのまま、母の服を買って実家に帰ろうとしたが、家族は引越しをしてしまい、居場所も分からなかった。飲食店で無銭飲食をして警察に捕まった彼の元へ、ようやく弟のジョンセが迎えに来て、ジョンセの運転する車で新しい家へと向かい、家族と再会する。しかし、社会不適応者である彼に対し、家族は暖かい対応をしない。

2日後、挨拶しようとひき逃げ事故の被害者宅を訪ねたジョンドゥだったが、引越しの最中であった被害者の息子夫婦は怒って彼を追い返す。息子らは脳性麻痺である妹のハン・コンジュを置いて出て行ってしまい、ジョンドゥは残されたコンジュを再び訪ね、果物の入ったバスケットを置いて帰る。ジョンドゥは兄であるジョンイルの口利きで得た中華料理店の配達の帰り、遅くなって店を締められてしまい、そのまま配達用のオートバイでソウル郊外にあるコンジュのアパートに向かうが、訪ねずにそのまま帰ってくる。そして帰り道で転倒し、交通事故を起こしてしまう。兄からは諭され、兄嫁からははっきり邪魔者だと告げられる。」Wiki

ネタバレについては、途中3割で止めてある。よく考えて見ると内容の濃い映画である。

 

○監督 イ・チャンドン 

 

○出演 ソル・ギョング, ムン・ソリ, アン・ネサン

 

○露骨な描写、しかし後味の良いロマンス。当人たちが傷つかなければ、一寸でも希望があれば、ロマンスとして成り立つのだという真理。

 

○最後までみたか?

韓国映画で最も感動した映画のひとつです。最後までみました。

 

○ビックリしたか?驚いたか?

全く先入観なく、前情報なく、この映画を見れば、後で驚くことだらけでしょう。びっくりしました。

 

○特筆すべき男優、女優はいたか?どのように?

この映画を最初に見た時は、ソルギョングは只の朝鮮人の兄ちゃんだったし、ムン ソリは韓国の地味な脳性麻痺を持った女性でした。こうした先入観なく見た後で、色々と韓国映画を知るにつれ、じわじわと感動するのも一考です。韓国の俳優でソルギョングは、今一番好きな俳優です。

この俳優はカメレオン俳優とよく紹介されているが、それは恐らく役作りにおいて潔癖な人なのだと思います。ですので、映画のタイトルのカバーの写真だけで、ああこれがソルギョングが出ているのか?とは分からない。それくらい映画毎に顔形、風体が違います。

 

○もう一度みたいか?

2度見ました。

 

○一緒に見て困る人はいるか?

一人で見た方が、気を使わなくていいと思います。あと、もしいい映画だと思っても人に激しく推奨しないことです。理解できない人もいるでしょう。障害を描く映画と言うのは、とにかくこちらが恐縮してしまうようなことばかりで、見終わった後に口では(元気をもらいました)とかいいながら、心の中では憂鬱になってしまう場合が多い。ところがこの映画の手法だとそれが起きない。むしろ、純粋に発達障害とか、脳性麻痺といった人とそれをとりまく環境を、ドライに描くことが出来たようです。

ただ、人によっては、この手法に怒りを感じる人もあるかもしれない。

 

○印象に残るシーン

①ソルギョングの鼻水。刑を終えて釈放され、夏服で寒い韓国の町中を徘徊する。この飄々として、物事にこだわらない、しかし、サービス精神旺盛で、目標をもったら、周りの目を気にせず突っ走る、だから周りに嫌がられるのでしょう。

②ムン ソリの障害。一体、障害をもった人が、人と同じことをするのにどれだけ苦労しているか?ソルギョングは内面に障害を抱えており、ムンソリは外面に障害を抱えているわけです。見たところ、ムンソリは内面的には正常に見えました。だから、正常者のように振る舞うことを常にイメージするのでしょう。またオアシスの絵にかかる枝は彼女の小さな日常に影を落としています。

→本当にこう思っていた。

③家族兄弟が障害者であるムンソリへの国からの支援で、いい家に住み、障害者のムンソリを古い汚いアパートに一人で住まわせて、本人の幸せなど顧みないが、どこか後ろめたく振る舞う事。

④ソルギョングの兄は、ムンソリの親を車で引いて死なせたが、前科のあるソルギョングが身代わりになって罪に服役し、ところが帰ってきても家族の誰からも歓迎されず、むしろ厄介者扱いされること。しかもそうして助けた兄に再三再四ダメ人間呼ばわりされ、説教されること。

⑤最初の出会いにおいては、恐らくソルギョングは五蘊の健全さからムンソリに懸想したと思われるが、ムンソリの内面が自分よりしっかりしていることに気が付き、尊敬の念から愛情を覚えるようになったこと。

⑥最後のシーン。

 

○仏教的にはどうか?

ソルギョングの役には性格的なものか、葛藤はなく、どんな状況でものほほんと暮らせていけるようである。一方、ムンソリはかなり深い内面世界をもっており、その世界においてお姫様(コンジュ)なのだろう。

ソルギョングはすでに解脱、得心した状況にあるのではないか?それが周りにいる気の小さな罪人にはうっとうしくて仕方がないのかもしれません。

神父が何度か出てくるが、ソルギョング自体の宗教観は希薄であった。

 

○再見☝︎ネタバレ注意

この映画については、僕の韓国映画を好きにさせた映画であると同時に、「障害者じゃない人が障害者を演じる>僕は支持する」のライフワークとして生きたいと思う。このレビューをした時は、まだ韓国映画と言うものが分かっておらず、ムンソリが本物の障害者だと思っていた。そして、その時は自分も障害者では無かった。健常者が、根本的に障害者を軽んじている点(というか軽んじざるを得ないだろう)を、実に正確に捉えている映画で、僕がムンソリ(韓国の大女優)を、完全なる障害者と思っている時点で、この映画の勝利である。そして障害者の恋愛を真正面から捉えている時点で、後から知った点で脱帽だ。この時は、ソルギョングも知らなかったのだ。いずれこの日本には無いタイプの素晴らしい映画を、エッセイに再レビューしたい。韓国映画はこうでなくてはいけない。

 

合掌