migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

他人の顔 1966年 日本

 

他人の顔 1966年 日本🇯🇵

🍅🍅🍅

 

あらすじ

「奥山常務は新設工場を点検中、手違いから顔に大火傷を負い、頭と顔を繃帯ですっかり覆われた。彼は顔を失うと同時に妻や共同経営者の専務や秘書らの対人関係をも失ったと考えた。彼は妻にまで拒絶され、人間関係に失望し異常なほど疑い深くなった。そこで彼は顔を全く変え他人の顔になって自分の妻を誘惑しようと考えた。病院を尋ねると精神科医は仮面に実験的興味を感じ、彼に以後の全行動の報告を誓わせて仮面作成を引受けた。」Wiki

 

○監督:勅使河原宏

 

○原作・脚本:安部公房

 

○音楽:武満徹

 

○所感

この映画は、実験映画であろうと思ったら、やはりそうでした。見終わった後に、安部公房の原作である事を知り、三島由紀夫も評価する作品であるらしい。確かに、白い図面、構図、撮影が特にシュールだ。。この世界を見て、これは実験映画なのでは?と僕は思ったのだろう。そして、仲代の語り、平幹二朗岸田今日子の全てがベストチョイスである。こうなると面白い他無いが、終盤に近づくにつれて、仲代の役そのものが失速し割に平凡な終わり方になってしまう。原作は違うのだろうか?ケロイドの女の絡ませ方も不満だ。同じ時制にいるのかいないのか時差がよくわからない。しかも、彼女は実験映画として、個人を失くしてしまうほど顔を破壊されていない。もうひとつ実験があるようで、気が散ってしまう。

むしろ、京マチ子前田美波里を、深めてくれた方が良かった。

京マチ子の官能的な肉四肢、(昔よく成人向け小説にあった表現>違っているかも)、前田美波里の白黒に映える褐色の肌。これだけの表現が勿体なかった。

イメージ.jpeg

○男:仲代達矢

この様に考えると申し訳ないが、男のキャラクター1人に頼っている実験映画として、辛いものになってしまう。この人の極個人的な不幸と、本人の対面と言う小さな話になってしまう。以下、三島由紀夫の評価?

 

はふつう所与のものであつて、遺伝やさまざまの要因によつて決定されてをり、整形手術でさへ、顔の持つ決定論的因子を破壊つくすことはできない。しかも顔は自分に属するといふよりも半ば以上他人に属してをり、他人のの判断によつて、自と他と区別する大切な表徴なのである。つまりわれわれは社会のつながりを、自我と社会といふ図式でとらへがちであるが、作者はこの観念の不確かさを実証するために、まづ顔と社会といふ反措定を置き、しかもその顔を失はせて、自我を底なし沼へ突き落とすことからはじめるのだ。

この自我の絶対孤独が仮面を作り出すにいたる綿密きはまる努力は、あたかも作者の芸術的意慾とおもしろく符合してゐて、読者は作者と共にこんな難事業に取り組むことを余儀なくされる。仮面を作るに当つて、古典的客観的基準といふものは存在しないし、たとへ存在しても何の役にも立たない。第一、純粋自我がそのやうにして「他」の表徴を生み出すことができるかどうか、論理的な難点が先行するわけである。

— 三島由紀夫「現代小説の三方向」Wiki

 

この実験が、その小説の中の作業から、更に映画と言うものにして行くのに、並々ならぬ苦労があったと思われる。俳優自体はベストな選択をされており、例えば、(ヨーヨーの娘:市原悦子)は、認知症の毛があるが、主人公が以前あったおじちゃんだと、簡単に見抜いている。そうすると、こっちとして知りたいのは、何故、何故??となる。この映画の規模が壮大な為に、答えの見えない実験映画になってしまった。

 

○妻:京マチ子

上記のような見方をすると、この映画が如何に大変な課題の実験に取り組み、その為に頑張って最高のキャスティングをしているのがわかる。

 

○医者:平幹二朗、看護婦:岸田今日子

本当に、これ以外が見当たらないと言うキャスティングだ。僕は、岸田今日子は、昔はてっきり、ムーミンの声優だとばかり思っていた。しかし、この人は日本が誇る、表現女優だ。黒い十人の女(1961年)も見てほしい。ヌーベルバーグだったのだ。その人がムーミンの声優だったのだから、思えば僕達の幼少時代は贅沢だ。

 

○ケロイドの女:入江美樹

やっぱりわからない。この実験の必要性が。原作を見なければいけないのだろう。

 

○実験映画

実験映画とは、我々が今生きていく未知の未来も実験映画の可能性がある。僕にとって、映画とは、自分を振り返って見るためのものである。決して、自分を忘れる為のものではない。全ての人間はそこまで姑息になる必要はない。

何十年も自分の人生は、実験映画でしたと言う。それを自分で遡って見ると、分かる。自分をこのような目に遭わせた、権力者でさえ、同じ目線に居て、実験対象として、実験動物として、僕と大した差はないことに気が付くのである。どんな人生も、無関係と言う事は無い!

 

合掌