migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

こころ1955年日本🇯🇵

こころ1955年日本🇯🇵

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あらすじ

 

「『こころ』は1955年8月31日に公開された日本映画。監督は市川崑夏目漱石の小説『こゝろ』を原作にしている。同時上映は『月夜の傘』、9月7日からは『江戸怪盗伝』。1966年英国エジンバラ映画祭出品作品。」ウィキペディア

 

「日置にとって野淵先生は最も尊敬する先生であったが、同時に何かしら不可解な心情の持主でもあった。先生とは、ある夏海水浴に出かけた時に出会ったが、日置はその一瞬で先生に強くひきつけられた。これが縁で日置は東京へ帰ってからも繁々と先生の自宅へ勉強に通った。先生には美しい奥さんがおり、子供はなく二人だけの静かな家庭だった。先生と奥さんの仲は決して悪いのではないが、かといって幸福とも思えなかった。日置は先生夫婦の生活へ入りこんでいくにつれ、先生の孤独な境涯に同情をよせる一方で、何故この夫婦は暗い空気に覆われているのか、また先生が奥さんを憐れんでばかりいて愛しきれないことに不審を抱くようになった。」以下ネタバレ略日活

 

監督:市川崑

原作:夏目漱石

 

出演

          

森雅之  (Nobuchi)男 

映画として見るならこの人が主人公である。

「先生」と呼ばれる男性。

家は裕福で、奥さんは綺麗だ。明治と言う時代、生活には何の不自由もない。この人が、何を悩み、何を秘めて生きているのか?ヒオキは先生に興味を持ち、先生の出そうとしている結論にたどり着く。

「こころ」は、確か高校生の頃に読んだ「坊ちゃん」の作家が書いた、面白くない小説と言う印象で本棚に入っていた小説である。その頃は何が良いのかわからなかった。日本の誇る私小説文化の始めではないか?極私的な事実を語りながら、その時代の人間の生きにくさを紡ぎとって行く見事な作品であり、映画にしても違和感がない事を証明している。こうゆう文化は、あと、ロシアではないだろうか?

日本の映画文化が花開いたのは、森雅之のお陰では?と実は密かに思っていた。「羅生門」「白痴」「安城家の葡萄会」「痴人の愛」「浮雲」日本の映画を見たければこの人を見れば間違いはないとさえ思う。いつもオドオドした、生きることに自信のない円らな瞳。この映画でもそれは十分生かされている。

       

三橋達也  (カジ  )男

先生の回顧に(あまりはっきりと回顧ではない)出る友人カジ。貧乏であるが、自分は「美しい人間である」と言う確信の元に生き、そして悩む。「清貧と言う勝者」を僕も知っていて身につまされる。僕には無理だ。エピキュリアンだから。そして何より、こういう人間に限って自分の事にしか関心が持てず、人の傷ついた弱い心に気が付かないものだ。こんな者に限って、コネで新聞記者になったりするらしい。家族で楽しくシーソーだ。好い気な者である。

どうしてあそこまで確信が持てるのだろうと思っていると、実はそうでも無くて、自分見たいな弱い人間をオロオロさせる。疲れる奴だ。

僕は三橋達也がこの手の映画に出ていると言う印象が薄かった。目薬のクイズ番組の印象がある。だったかしら?

          

○新珠三千代  (Nobuchi's wife  )女

ノブチの奥さん。

これまた、何の不満もない奥さん。ただ、旦那の挙動に不信感を持ち、悩む。でも、苦悩ほどではないのだ。こうゆう女性の芯の強さを見事に演じている。

          

○安井昌二  (ヒオキ  )男

こうして見ると、3人の典型的な主人公がいて、そこにヒオキがいないと流石に小説として成り立たんだろうと言う感じも伺える。でも映画ならいらないと言う事もなく、そうゆう便宜上のキャラクターではないのはこの映画で分かった。

構成としては、カジは過去の人である。

だが、このヒオキの家、田舎の庄屋の様な家、と言う舞台もまたあるべきしてあるべき、日本の私小説である。その家の家長が病気で死にかけている。この明治の終わりに。

 

田村秋子女

ノブチの奥さんのお母さん。

典型的な、母。この人にせよ、ノブチの奥さんにせよ、愛に溺れるタイプではないのだ。この時代の女性の当たり前の良識を持った、誰もが合格点の女性なのだ。今の日本見たいに、恋愛で一生を完うしようと言う人は少ないのだろう。

 

奈良岡朋子  (クメ)女

女中。何故載せたかと言うと、この人の連続ドラマで子供の頃は育ったんだなあ、と。

 

○難しく考えればどこまでも難しい作品。この作品で沢山の大学教授が飯を食って来たのだ。でも、夏目漱石の築いた僕等の心への楔は、100年を超えなお揺ぎを知らぬ事が分かる。確認はしないが夏目漱石は1867年生まれで僕は1967年生まれだった記憶がある。良いものの前には、皆平等だ。