サムライの子 1963年 日本
あらすじ
「母が他界し、他人の家に預けられていた田島ユリは、父から都会へ引っ越すと聞いて大喜びする。しかし、転居先は「サムライ部落」と呼ばれる古い住宅で、そこには新しい母と弟が待っていた。そんなある日、ユリたちの住む一画に、ノブシと呼ばれる放浪者たちが大挙して押し寄せてくる。」Google
監督: 若杉 光夫
原作/山中恒(講談社版)
○田中鈴子 (田島ユリ)女
主人公。映画全体を見ても明らかに彼女が主人公。
貧しくても、尊厳を捨てなければ、必ず人生を切り開く事が出来る事を自で行く子供。大都会に引越すと父に騙され、行った場所は下記の通称サムライ部落だった。場所は小樽らしい。
○南田 洋子 (妻やす)女
彼女は、田島ユリの実の父の内縁の妻と言う立場だが、南田洋子が素晴らしい演技をしており、未だにあれは本当に南田洋子だったのかと思わされる。
太市との間に生まれたばかりの赤ちゃんがいる。
○小沢昭一 (田島太市)男
最近見ている映画で小沢昭一の姿をよく見る。その役どころは貧乏でプレイボーイだが、徹底的にだらしない。女に残酷になれない男。
○浜田光夫 (マキタ )男
日本映画のフットワークの軽い(悪い意味でない)重鎮。吉永小百合の映画を始め大概の映画に出てくる。誠実、正義の男。人から頼りにされる。この映画のポスターを見ると、この映画もマキタが主人公みたいだ。男性としての業を感じない。見てる側に苦悩を与えない稀有なキャラクター。ここでも、主人公の精神的バックアップが心地よい。
大体そもそも、而して、この浜田に見るような、自分のキャラクターの役割作りと言うのが俳優には昔あった筈だ。金が欲しいからとなんでもCMに出れば良いと言う訳はない筈だ。貧乏な部落の映画に出ていた人が、クレジットカードのCMに出ていたら、混乱するに決まっている。大人だけではない。子供も見てるのだ。これを元に将来を胸に秘める子供もいる筈だ。山中恒は僕も子供の頃良く見た。子供に影響を与える作家だ。こうゆう影響を考えない。不思議。CM全部アニメにしたら?子供も割り切って見ているからいいとでも?
○松尾嘉代 (ヒロコ)女
そして、ヒロコ。今回はマキタの恋人。
映画の性質上なのか分からないが、今回出演の役者は悉く、化粧、居住まいが地味である。
○田代 みどり (石川恵子)女
最初、部落差別の映画と勘違いしていたので、そのために学校が分かれているのかと勘違いしていた。ユリが間違って迷い込んだ、最初の学校の子。ユリの面倒をみる。
○サムライ部落
「かつて旭川市街と神楽町を結ぶ忠別橋上流の河川敷に「サムライ部落」と称される住宅群があった。住宅と呼ぶのもはばかられるような粗末な建物が多かったが、昭和20年代には最高で53世帯、約200人が暮らしていたという。先ごろ亡くなった歌手の藤圭子さんの一家も一時、ここで雨露をしのいでいたと言われるが、その〝集落〟ではどんな生活が営まれていたのか─。
記録に残っていない〝集落〟
初めに断っておくが、「サムライ部落」とはあくまでも当時の通称。役所では「厚生部落」と呼称されており、関西のいわゆる被差別部落とはまったく性格を異にする。今風に言えば、粗末ながらも居を構えるホームレスたちの小さな集落と言えるかもしれない。
サムライ部落と称されるものは、旭川のほか札幌や函館、小樽にもあった。一番知られているのが札幌白石地区の河川敷にあったもので、昭和初期から札幌冬季五輪が始まる40年代中頃まで150世帯ほどの集落を形成していた。」北海道経済新聞
○サムライ部落の人だと呼ばれる事。
南田洋子が、街でユリに会った時、自分をお母さんと呼べない。感動のシーンであった。