migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

彷徨う魂 2022年 日本

彷徨う魂 2022年 日本🇯🇵

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あらすじ

写真家兼トラック運転手の坂崎陽平と大学講師である公務員の妻、由美は雨が降りしきる夏の日に捨て猫を拾った。「喜雨」と名付けられたその猫は、愛情たっぷりに育てられた。陽平の夢であった猫の写真個展も成功に終わり、幸せを噛み締めていたところ、喜雨は坂崎家のわずかな隙間から出て行ってしまう。喜雨の捜索が続けられて数日経ったある日、陽平と由美は隣町で野良猫の虐待事件があったと知る。後日、虐待犯は逮捕された。」以下省略 公式サイト

 

監督: 北田直俊

 

所感

良い映画だと思う。全然知らなかったが、動物虐待について追いかけられている方のようだ。動物虐待と言えば私には暗い過去がある。それは後で書くとして、成る程、動物を、子供のいない人は特にここまで可愛がり、それを虐待する人は子供に恵まれた皮肉。俳優が色々なアルバイトをしている昨今の日本CM映画とは一線を画しており、プロフェッショナル。全体のリズムも良い。何より最後に向かう話の運びが絶妙。この監督の他の映画も見てみます。

 

○杉本凌士 / (坂崎陽平)男

主人公。トラックの運転手をしながらカメラマンでもある。

この人のみ、どこかで見た記憶あり。

夫婦が非常に仲が良く、それだけに最初から刑務所のシーンで見るものを混乱させる部分。絶妙である。この人の仕事が、イマイチ良く分からなかった。というか、仕事をしているリアリティがなかった。これは、みんなそうだが。まあいいか?

 

○山野はるみ / (坂崎由美)女

主人公の奥さん。大学講師。

猫に死なれてここまで行くのか?と。ウチの自称認知証婆さんは、犬も猫も散々飼ってきて、子供は僕も含め3人。この前一匹死んだ。お金がないので避妊させられなかった。だから、オスを閉じ込め、メスを自由にしていた。途中で辞めさせたが、犬猫を飼うには、この妙なドライさが必要なのか?

ところで今の日本の田舎は、豊かだなあと言う印象。新潟?

 

○喜雨

奥さんが見つけてきた黒猫。

動物愛護団体。ちょっとおかしいのはここ。この映画で最も重要な猫。僕は、この前、母と久々に同居して、つくづく思った。猫って凄い動物だ。犬と比べて異常に手間がかからない。洗って無いのに臭く無い。未だ色々あるが、猫を愛する理由が語られない。愛護まで行かないが、今回猫がかなり好きになった。動物愛護団体にも色々ある筈だ。猫は好き、犬はダメとか。ひよこは好きで、鶏肉食べれないとか。卑しくも喜雨さんはこの映画のメインテーマであるのに、公式サイトでもこの程度の紹介?おかしくないかい?

 

○礒部泰宏 / (大野誠)男

猫を虐待死させ、軽犯罪で執行猶予になった男。

いかにもと言う感じ。でも、あの新潟の寒さの中(厳しそう)で警備員て、大変そうだとちょっと同情。

 

○15年くらい前、讃岐ウドン馬鹿の部下が犬をくれた。それまで犬の虐待をした事は無かった。その頃うちの奥さん2号との仲が悪く、あいつは毎晩子供を掘ったらかして、車で金の亡者の自称本当の旦那のところに行って帰って来なかった。私の犬の虐待は、日に日にひどくなった。犬は高いところが弱いので、木に縛りつけるのがメインだ。あの絶対的な力の差で相手をいじめる事が、ここまで気持ちいいとは思わなかった。かの国の王様が今私にやっている事だが。流石にそれに子供が気づき、父を責めた。となりに住んでいる元海兵隊軍人のアメリカ人🇺🇸夫婦(英語の先生)も抗議のため家に入って来た。(不法侵入)ベトナムで何人人を殺して俺に説教垂れるのかと言ったが、私の英語は通じなかった。

だがある日、この虐待がハタト止まった。

庭にいた、ラッキー(犬の名前)のところに、一回り以上デカイ大きな犬がやって来てラッキーを犯し始めた。翌日も、また翌日も。何故かその時は虐待する気が起きなかった。そしてラッキーは妊娠した。不思議なものです。ラッキーを虐める気持ちは消え失せ、子供に、「犬の面倒見ないなら誰か貰い主を探それにそう」といい、全ての劣情が絶えた。妻への怒りは彼女の下着に自慰行為でぶつけ、そのうちパブがよいをしだした。あの、犬に対する🐕怒りはなんだったのか?

 

この映画は、この事を思い出させた。

でも、だから、日本人は仏教にもっと頼るべきだとも思う。法律でどうしよう無い事は山程ある。思えば、あの頃は一時的に仏様にお祈りしてなかった。そのバチだ。葬式だけ仏教徒はやめよう。彷徨う必要なし。

 

「畜生(ちくしょう、: tiryañc[1] ティリヤンチュ[注釈 1]、: tiracchāna[2] )とは、仏教において、鳥・獣・虫・魚などの全ての人間以外ののこと[3][4]。傍生(ぼうしょう)[3][注釈 2]、横生(おうしょう)とも訳される[1]。衆生の生存の状態五道六道とするうちで、畜生の世界を指す畜生道三悪道悪趣)の1つ[3]。」Wiki

 

畜生道は六道の1つであり、悪の報いとして死後に生まれ変わる世界である[5]。畜生趣ともいう[5]。

仏教用語でない用法としては、人間として許し難い行為・生き方や、肉親間の色情を意味する[5]。」Wiki