ステーキ・レボリューション 2014年 フランス
あらすじ
「旨い牛肉はどうやって作られるのか――その謎に迫るため、監督のフランク・リビエラはパリでいちばんの精肉店の店主イヴ=マリ・ル=ブルドネックと共に、2年間の「世界最高のステーキを見つける旅」に出た。20カ国、200を超える有名・無名のステーキハウスを食べ歩いた結果、そこに見えてきたものは……?。アメリカではかつては証券マンや作家になるようなエリート達があえて肉牛農家となるアントレプレナー・レボリューションが起こっていたり、スウェーデンでは、MBAを持つ物理博士が「和牛」を肉牛として飼育し、とてつもない高額売買を叩き出す和牛レボリューションを起こしていたり、仏コルシカ島では肉牛飼育の原点回帰と向き合う孤高の大富豪が全財産と全人生を肉の地産地消に捧げていたり…。肉のプロも驚きの、世界のお肉革命、絶賛進行中!肉の常識がひっくりかえる!ビッグ・ブーム到来、世界のお肉事情をすべて見せます!」公式サイト
監督: フランク・リビエラ
今の世の中は、どう見ても美食家の全盛期である。テレビは、歌番組やドラマより物を食べる番組が多く、行列をなしてまで食べる料理屋が山ほどある。僕等は食べるところをただ画面で見るだけに過ぎないのに、視聴率が取れるのだろう。何故か見てしまうのである。或いは、情報番組で見ている人が多いのかも知れない。それ自体、なんの罪も無く、平和でいい事だが、「ありあまるごちそう 2005年 オーストリア」を見たての身にはちょっと面白くない。それと、半身麻痺の病人にとっても。皮肉たっぷりのレビューを。
①何故、牛肉は扱いが別格か?何故、牛肉は高いのか?
このドキュメンタリーのような企画では、どうしても牛多い。その理由が知りたくてWikiを弾いてみたが、壮大な規模の話で挫折。
この映画は当然ながら、美味しい牛のベスト20を出してそれを紹介しているが、この場合自分が食べる機会のない物を比べられても困ってしまう。行く予定で見る人もいる筈だが、番組で味は分からない。店の雰囲気すらわからない。でも牛だから持つのだろうと思った。鶏ではここまでもつかどうか?
②この番組をとった後亡くなったオーナー。
ブラジルのマルコスバッジ氏
途中まで退屈だったが、この人の事でちょっと気合いが入る。
この人、ブラジルに高級ステーキ店を構えていて、如何にも毎日楽しそうだが、妙に喉の上を抑えている。気の良い人だが、時々表情が暗くなり、数ヶ月後に亡くなったと。年齢50〜60ではないか?そう、誰も命は選べない。牛にうまれても、ブラジル人に生まれても、それは私達が選んだ命ではない。このしーんをカットしなかった監督が少しずつ分かって来た。
③反芻
牛は反芻することによって、敬われ、食べる食べない宗教なり民族が多いと言う。あれだけ噛んで置いて更にウンコもしている。
「反芻(はんすう、rumination)は、ウシ目の哺乳類の一部が行う食物の摂取方法。まず食物(通常は植物)を口で咀嚼し、反芻胃に送って部分的に消化した後、再び口に戻して咀嚼する、という過程を繰り返すことで食物を消化する。」Wiki
「ユダヤ教のカシュルート(en:Kashrut、コーシェル、コーシャ。食事に関する規定)では、食べても良い陸棲動物は「反芻するもの」に限られている。 『レビ記』では不浄な生き物として以下を挙げている。
- 反芻する[注 1]が、蹄の分かれていない動物(11章4-7節)
- 蹄が分かれているが、反芻しない動物(11章8節)
また、何度も同じ事柄について思考をめぐらせることを、心理学などにおいて「反すう」と表現する[3][注 2]。」Wiki
④インド人を神戸肉に誘うスイス人のデリカシー
この番組の中で唯一行ったのは、神戸牛だ。
スイスの会社の会議で行ったが、ある日の食事がこれだった。店まで行って食べた。2、30人はいただろうと思う。10年前か。美味しかった。味は覚えていないが。インド人が数名いたが、牛が食べられる訳もなく、どこかに行ってしまった。インド人の分も用意されてあり、余るので僕等で食べた。翌日、会議中吐くかと思ったが。これが、嫌がらせの顛末だ。このインド人の扱い。彼らが如何に食べ物にうるさいか知っていれば、やる事ではない。最低だ。そして神戸牛をいくら思い出そうとしても味は思い出せない。これが高級な料理の思い出かと思う程、中心がない。
⑤レア
それにしても日本は凄い。牛の扱いが凄い。吊るされている牛の死体だが、美しさすら感じる。これは一見の価値ありだ。また、日本の牛の製造は輸出禁止とははじめて知った。それでも、スエーデン人が、この番組で飼育していたが、日本人の製造の精神見たいな物も学んでいるようだ。
⑥畜生道
仏教徒なら、こういう番組を見るとき、この事を心に。
「畜生(ちくしょう、梵: tiryañc[1] ティリヤンチュ[注釈 1]、巴: tiracchāna[2] )とは、仏教において、鳥・獣・虫・魚などの全ての人間以外の動物のこと[3][4]。傍生(ぼうしょう)[3][注釈 2]、横生(おうしょう)とも訳される[1]。衆生の生存の状態を五道や六道とするうちで、畜生の世界を指す畜生道は三悪道(三悪趣)の1つ[3]。」Wiki
振り返るとやはり日本の牛は最高だった。
食べてないのに。