migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

野火 1959日本大映

野火 1959日本🇯🇵大映

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大岡昇平の同名小説を、和田夏十が脚色し市川崑が監督した反戦映画。

病院にも部隊にも見放された田村は、フィリピン戦線のレイテ島をさまよっていた。同じように敗走している仲間と病院の前で合流するが、その病院が砲撃を受けたため、田村は一人で逃げ出す。食べるものもなく、仲間を失った田村は、草を食べて生き延びていた。やがて生き別れたかつての仲間である永松と安田と再会。二人は殺した味方の兵士を“猿”と称し、その肉を食べていた…。」all cinema

 

○監督: 市川 崑

 

○原作者: 大岡昇平

 

「『野火』(のび、Fires on the Plain)は、大岡昇平小説1951年に『展望』に発表、翌年に創元社から刊行された。作者のフィリピンでの戦争体験を基にする。死の直前における人間の極地を描いた、戦争文学の代表作の一つ[1]。第3回(昭和26年度)読売文学賞小説賞を受賞している[2]。」Wiki

 

フィリピンの山中で病気のため軍隊からも病院からも追放された兵士が主人公。人肉食いという倫理問題を提出して、戦争と生存と人間性の関係を追究した戦争文学。」Wiki

 

「同様に、より多くの観客の共感が得られるよう、原作に存在した「神を巡る問題」は意図的にその描写を避け、暗喩な表現に留めている。

完成した映画を鑑賞した原作者の大岡昇平は「だいぶ小説と違うね」と感想を述べたが、市川は「原作の精神は尊重しているし、神様のことは全部排除したけど、それを底に滲ませてはいますよ」と応じ、大岡も「その他は結構です」と返した[10]。」Wiki

 

○所感

野火は、子供の頃、親父の本棚にあって、読んでみようとしたが、最初から理解する能力がなく挫折した。今、市川崑の野火を見つけ、これは!と期待して見てみたが、つまらなかった。思わず、トマト🍅とするところであった。正直、キャストが弱いなあと思ったのであるが、監督は、僕は嫌いではないので、期待したのが失敗だった。2015年も見て見ようとは思うがどうかな。小説が得意として映画が苦手とすること、或いはその逆。そして、原作を読んでいないからわからないが、宗教的側面を映画でカットしたのだと言う。上記大岡昇平の感想は、この映画が不満以外の何物でもない。読んでいない偉大なる原作に敬意を表してトマト🍅🍅だ。

 

○出演

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グーグルさん、船越は、写真違います。

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こっちです。仲代達也みたいな顔です。

アマゾンさんすみません。

 

○実質的出演者 

○船越英二: 田村 

レビューによっては、一等兵と言う表現をされているが、この役の描き方では、彼の身分は重要ではない。そう言う人肉食というフィクションの中で彼を描いたのだから当たり前だが、どこへ行っても田村は、不死身の身分不明の男だ。病院にも部隊にも見放された田村だから、大日本帝国からも自由だ。だから、出演解説は、彼1人で十分だ。かと言って、人肉食を詳細に語れる舞台ではなく、しかも宗教の話は、実際には滲んでもいないのだから、面白いわけがない。僕は思う。これはむしろ、身分とか組織の中で語られる映画だった。そして、天皇とか王とかそう言う身分が絡むべき題材ではとも、思った。

(勘違いしないで欲しいのは僕は天皇制支持者である。何故なら、全ての人間が行う出来事は、理屈では語れない事があるからだ。日本が今日までやってこれたのも日本固有の神のお陰で、戦争に負けたのもそれを過信した為と思ってる。)

だって、この戦争こそ、大きな人肉食行為ではないか?人間は、その身分の違いから、その都合で何十万、何百万、何千万を死なせる事が出来るのだから。田村が遭遇していることは、神様のことを排除して考えることは出来ない。少なくとも、私小説的なナレーションが欲しかった。この映画の問題点は、映像に対する過信だろう。

以下に、Wikiからコピペした出演者を貼り付ける。

 

 

○ところで、東南アジアの各国と日本は🇯🇵現在表向きに、大概友好的である。このフィリピンもそうである。しかし、これから先、間違えている事は間違えているという事が言えない国交がどのような悲劇を生むかを考えなくてはならない。そうしないと、大事な自国民に嘘をつく事になる。

 

合掌