migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

典子は、今  1981年 日本

典子は、今  1981年 日本🇯🇵

🍅🍅🍅

 

あらすじ

「1979年の春、生まれつき両腕がない典子[注 3]は母・春江と熊本市内の団地で2人で暮らし、ハンディを抱えながらも一般的な高校に通う。典子は手の代わりに足を器用に使って日常の行動を取り、どうしても1人できないことは春江や親友たちに手伝ってもらってきた。ある日典子は高校の授業で「将来の夢」をテーマに一分間スピーチの課題を出されたことで、「私は、今…」と自分の今後について考え始める。」Wiki

 

○出演者



辻典子が本人で、若命さんは子役。辻典子さん以外フィクションと言う、セミドキュメンタリー。

三上さんは、典子の障害者の友達の兄。三上さんは後半に出てくるが、典子さんとの関係は、ちょっと唐突。

渡辺さんは、辻典子の母の役。

長門さんは、辻典子の父の役。あまりの事に、蒸発してしまうと言う如何にも長門さんらしい役。

ここには無いが、河原崎長一郎の担任役の演技は暖かい。

 

○サリマイドとは

 

サリドマイド英語: thalidomide)とは、非バルビツール酸系の化合物で、催眠作用と免疫系の増強・調節作用や腫瘍細胞の自滅誘導作用・増殖抑制作用などを持ち、抗多発性骨髄腫薬、ハンセン病の2型らい反応治療薬としても知られ、現在でも妊婦や妊娠前以外には活用されている[1]。」Wiki

 

「世界では1957年にコンテルガン、日本では睡眠薬イソミン(1958年発売)や胃腸薬プロバンM(1960年発売)として販売されたが、妊婦が服用した場合にはサリドマイド胎芽症の新生児が生まれる世界規模の薬害サリドマイド禍が起きたため、日本では1962年9月に該当商品は販売停止された。その後1965年には、サリドマイドがらい性結節性紅斑に一時抑制効果が確かめられた[2]。」Wiki

 

これが、正にサリドマイド胎芽症である。典子もこの被害者の1人で、両腕が殆ど無い。その手も、見るに耐えないと言う理由で、父の長門が切り落としてしまう。

 

「発売当初、サリドマイドの催奇形性については何ら考慮されておらず、世界各国で多くの妊婦が服用した。

日本においても、イソミン(睡眠薬)/プロバンM(胃腸薬)共に、妊婦の「つわり」に多く使用されたのは確実と思われる。ただし、両剤共に、つわりに対する使用割合は不明である。」Wiki

 

「ところが、疫学調査(レンツ警告)[注 1]から先天異常「サリドマイド胎芽症」や胎児死亡といった催奇性と因果関係があると報告された。日本では1962年(昭和37年)9月に、販売停止と回収が行われた。その時点で、すでにレンツ警告から約10か月経過していたが、この間、全国規模の疫学調査は一切行われなかった。つまり、販売中止を判断するために必要なデータが、国・製薬メーカーによって集められることはなかった。」Wiki

 

「日本における認定被害者は309人である(最終確認1981年5月)。」Wiki

 

○この映画レビューを何故、映画エッセイと読んでいるのか?正にこうゆう映画の為である。健康な人には、見るに耐えないシーンもあるかも知れない。だが、この映画の良いところは、ただ淡々と、障害者の日常を実に細かく描いている点である。彼女は昭和37年生まれ。僕より5歳上の女性だ。という事は、現在60歳か?彼女は前天生の障害者で両手が無く、僕は後天生の障害者で、現在右半身が動かない。以前の僕なら、こういう映画は間違い無くパスだ。それが、今では、彼女が足だけを使って手の代わりをする姿を夢中で見ている。

 

イカ🍉、ミシン、封筒、化粧、食事、お母さんの一言一言は厳しい。でも本当に典子の為になっている。この足に得た技術の為に彼女は公務員に合格する。泳ぐ事すら出来る。

障害を持てば持つほど、人の親切さが身にしみて、それと共に、少しでも助けてもらわないで、何でも出来る様になりたいと思うのである。典子さんのその気持ちは痛いほどわかり、彼女も頑張ったのであろう。これは、障害者なら誰もが持っているパラドックスであろうか?

 

流石に、彼女が電車で熊本を離れ、1人で広島に行く時は、やれない事が多く可哀想だった。でも彼女ならそれすらも、克服しそうだ。折しもロボット🤖の時代だ。色々な物が彼女を助けてくれるだろう。それが故にこの映画は、泣けて来ないのである。感動はあまりしなかった。それで良しとしよう。トマトも一つ減らして置く。何故なら僕は、彼女に負けたくないから。

 

合掌