migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

雨月物語 1953年 日本大映

雨月物語 1953年 日本🇯🇵大映

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あらすじ

近江の国琵琶湖北岸の村に暮らす貧農の源十郎は、畑の世話をする傍らで焼物を作り町で売っていた。賤ヶ岳の戦い前に長浜羽柴秀吉の軍勢により占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木と子を残し、焼物を載せた大八車を引いて長浜へ向かった。義弟の藤兵衛は、侍になりたいと源十郎に同行する。源十郎は大銭をもって村へ帰ってきた。藤兵衛は市で見かけた侍に家来にするよう頼み込むが、具足持って来いとあしらわれる。

源十郎は戦が続くうちに、さらに焼物を作り大儲けをしようと、人が変わったように取り組むが、宮木は親子3人が幸せに暮らせればそれで充分なのに、とつぶやく。源十郎と藤兵衛は焼物をへ入れ、火を付けるが、折り悪く柴田勝家の軍勢が村へ近づいて来た。男は人足として徴用され、女は乱暴される、と村の人々は山へと逃げだす。窯の火は消えていたが、焼物は綺麗に焼けていた。」Wiki

 

○所感

素晴らしい映画。

こうして見ると、京マチ子は何と偉大な女優なんだろう。森雅之は何と偉大な俳優なんだろうか?この人で無ければ出来ない役、この人で無ければ表現出来ない生、この人で無ければ出来ない死後、この人で無ければ出来ない霊魂、どう見ても2度は出来ない映画、そうゆう映画の1つだと思う。ただ、1つ残念なのは、源十郎:森雅之が落ち着いた先と、藤兵衛:小沢栄が落ち着いた先である。この設定が面白く無い。が前半では源十郎:森雅之がこの映画の、時の移り変わりと共に、映画のストーリーを引っ張っているし、この映画のなんとも言えない雰囲気は、京マチ子と宮木:田中絹代、源十郎:森雅之によって作られた。なのにその外郭で1つの象徴的助演人物と思われた藤兵衛:小沢栄とその妻が、恰もこの映画の苦しみの主題の様になってしまい、この映画の苦悩の持ち主が、誰だか分からなくなってしまう。或いは、その苦悩とは何かが呆けてしまう。残念だが、そう感じたのだから仕方ない。残念な事だ。

 

○監督:溝口健二

 

○原作:上田秋成

 

○出演

 

○若狭:京マチ子

若狭は幽霊だったのだろう。今更だが。

安永5年4月(1776年)の「雨月物語」、その時代よりも前、戦国時代であろうか?この映画の衣装の派手な事よ。

 

私は、この原作の「蛇性の婬」に似た話をある国のドラマで見たことがある。歌もあり、ミュージックヴィデオもあった。恐らくどこの国にも似た話はあるのだろう。女が男を騙すと言うベースがあって、後は少しずつ違う。男女は周りにも構わず恋人同士となり、情欲に耽る。ところがある日男が、彼女が蛇であるところを見てしまう。それで彼女を銃殺してしまう。

 

また、昭和から平成の似た話も知っている。

これは、ノンフィクションで、構成は似ているのだが、女が醜女で本当は公務員で、蚊だったと言う🦟話。まだ物語になる前に話が終わっていない。映画にもまだなっていない。どう転ぶか分からない原状である。令和中に決着がつくかどうか?

 

○宮木:田中絹代

彼女は、夫思いの女。金に目が眩み、無理に仕事をする源十郎:雅之を常に心配している。この映画の映像の素晴らしさは、黒澤明を越えていて、特に霧の中、船で逃げるシーンの幽玄は最高だ。霧の中、鑑賞者が画面の汚れの様な気付きから、染み出す様に現れ舟を漕ぐシーン。CGでは出来ない一期一会の表現。

何と言うか、こうゆうシーンがいくつもあって、実写とも絵とも付かないシーンが、この作品の最高の見せ場だ。

 

○源十郎:森雅之

この人の演ずる男の弱さは、京マチ子との共演で最高のパフォーマンスを発揮する。例えば「羅生門」。それだけに、原作をモディファイした内容に不満だ。

 

○阿濱:水戸光子

①源十郎:森雅之と宮木:田中絹代が子供のいる夫婦で陶芸職人。

②藤兵衛:小沢栄俳優座)と阿濱:水戸光子が、もう一組。

②は①にくっついていくが、事あればすぐ、侍になろうとする。

 

これが、この作品の苦悩の中心人物だ。

後半、話が、②に傾くので、現代的な展開になり、面白く無いのです。

その原因は、この作品が「雨月物語」のおいしい採りをした上に、下記の総括で説明する内容に欲張るからに他ならない。残念残念。

 

○総括

「本作は『雨月物語』の他に、モーパッサンの短編小説「勲章」を元にしている[2]が、明確に「勲章」を基にしたストーリーや設定はないものの、「妻の貞操と引き換えに念願の勲章を手に入れる」というモチーフが、弟の藤兵衛と阿浜の物語と共通している。」Wiki

 

これである。映画の表現としてのクオリティーが良かった為に見落とされているのか?このいいとこ取りがこの映画の問題だ。上にもあるように、2つの主題があり、そこにモーパッサンで権威付けしているのだ。残念。

 

平成の「雨月物語」でも「妻の貞操と引き換えに念願の勲章を手に入れる」が最早、主題である。しかも、一晩や2晩の貞操では無い。15年とか、8年と言う単位だ。これには、上田秋成様もぶったまげるだろう。

 

合掌