Q9 母のボケについて
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母のボケについて
私は、母と2年一緒に居て、母のボケに気づかなかった。
妹によれば、一緒にいれば分からない、そう言うレベルのボケも
あるんだよね。
確かに、母に何か探しものを頼んだりしても、見つからない時の、
インパクトが違う。
おそらく一緒に住んで居れば、もうお母さん、ボケが始まってんじゃないの、などと揶揄しながら、自分で探して、終わりだ。
しかし、今の自分の今の状態では、この間も壁に掛けてある聖天様の、お守りを、送ってくれるよう頼んだが、3回送り直して、1 そもそも、お守りじゃないもの、2 増上寺のお守り 3孔雀のお札の順で、未だ、聖天様のお札に辿り着かない。
となると、当然、腹も立ち、
こりゃ間違いなくボケ婆さんだという事になる。
だが、考えてみると、これは、状況が変わっているのは、私であって、母ではないのだ。
こんな事でも無ければ、母に頼み事などしないのだ。
母に、私が部屋で何をしているか、説明などしたことなど、ないのだ。
それが突然病気になり、とんでもない姿で母に助けを求めて、いる。
もしかしたら、他人とのコミュニケーションも、同じような、ものじゃないかしら。
以前、外国で感じたコミュニケーションの不自由さは、決して
言語によるものではなかったのでは?
自分の言いたいことが、相手が、分かっている筈だと言う、
思い込みであり、そうじゃなかった時の不満を、どの表現で、何語で伝えるか、
の違いだけであったのでは?
私は、母にもう一度、手紙でお願いして見ようと思う。
右利きを、左利きに持ち替えて。