migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

道 1954年イタリア

 

道 1954年イタリア🇮🇹

🍅🍅🍅

 

あらすじ

旅芸人のザンパノは体に巻いた鉄の鎖を切る大道芸を売り物にしていたが、芸のアシスタントだった女が死んでしまったため、女の故郷へ向かい、女の妹で、頭は弱いが心の素直なジェルソミーナをタダ同然で買い取る。ジェルソミーナはザンパノとともにオート三輪で旅をするうち、芸を仕込まれ、女道化師となるが、言動が粗野で、ときに暴力を振るうザンパノに嫌気が差し、彼のもとを飛び出す。

あてもなく歩いた末にたどり着いた街で、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人・通称「イル・マット」の芸を目撃する。追いついたザンパノはジェルソミーナを連れ戻し、あるサーカス団に合流する。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知であるうえ、何らかの理由(作中では明示されない)で険悪な仲だった。イル・マットはザンパノの出演中に客席から冗談を言って彼の邪魔をする一方で、ジェルソミーナにラッパを教える。」Wiki

 

○所感

ジェルソミーナ!僕が大学に入り、映画サークルで初めて見たアメリカと日本以外の国の映画だ。その影響恐ろしく、それから数日は「ジェルソミーナ」と叫んでいたと思う。淀川さんによれば、日本で初めて公開されたイタリア映画も「道」だと言う。この映画を見て泣いたかは覚えていない。今回、3度目くらいか?

30年前の大学生。映画を見ると言うと、映画館名画座だった。でも暫くして、VHSのvideoステレオ再生wifiが安くなり、僕達はお金持ちの先輩の下宿で、レンタルヴィデオを10本ほど借り、徹夜で鑑賞し、鑑賞班と宣った。中に2本くらいAVと言う名のポルノも入っていたが…

この映画を観て今までスペゲッティしか知らないイタリア🇮🇹が好きになった。「兼高かおるの世界の旅」と「世界の料理ショーしか、外国を知らなかった僕に、新しい外国を教えてくれたのが、この頃見た映画だった。淀川長治さんや、水野晴郎さんも映画を教えてくれたが、日本語吹き替えでCMが入った外国は別物だった。

ジェルソミーナ、今日観て、正直なところ、🍅🍅🍅である。多分僕の目が肥えたのだろう。身体は痩せたが!

 

○出演

○ザンパノ:アンソニー・クイン

「Zampanòという名前の由来のzampa(ザンパ)は動物の脚やひずめ諧謔で人間のにも使われる。粗野の象徴。Wiki

アンソニークイン、我々は名前しか覚えていないが、この人の映画を日曜映画劇場などで何本見たか知れない。「アラビアのロレンス」「ナバロンの要塞」「老人と海」…とにかく我儘なオッさんと言う印象。むしろこのザンパノの方が大人しい。

 

○ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ

「Gelsomina[* 1]はジャスミンの花。純粋の象徴。このショートカット・ヘアの女の子ジェルソミーナを演じる俳優ジュリエッタマシーナはフェリーニ監督の妻で、ムッソリーニ政権から隠れて生活していた2人は政権崩壊後の1943年10月に結婚した。」Wiki

ジェルソミーナ、その表情の変化が変わっている。いつも、何があっても道化のような、散々虐められた人に独特なもう虐めないでと、「顔を作る」姿。しかも、少し遅れて作るので、ほとんどの、シーンじゃないだろうか、顔の表情が二段階である。この表情を監督の旦那、フェリーニがやらせているとしたら凄い光景だ。純粋とは何か?ジェルソミーナは表現している。純粋とは、泥の中で、転んで、転ばされて、馬鹿にされてもなお、純粋な香りを保つジェルソミーナの事を言うのだろうか?

 

淀川長治さん

「ジェルソミーナ、この女の子はちょっと頭が変なんですね。」

解説:淀川長治Copyright © 2023 IVC,Ltd All Right Reserved

 

この変なとは、良く言っているのか、悪い意味なのか気になる。

 

○綱渡り芸人:リチャード・ベイスハート

「il Matto:狂人の意味[* 3]。映画のオープニングクレジットタイトルに「Il “Matto”」という役名が流れる。「イル・マット」や「キ印」(きじるし)と訳されることがある。」Wiki

この人も色々な映画で見ている気がする。

彼は、この映画の中で人生を語る唯一の役割である。だからザンパノに嫌われているのかもしれない。ザンパノにとって力が全てなのだ。昔は、ムッソリーニも含め、そうだっただろう。でも、キ印でなければわからない事は沢山ある。キ印だと思わせなきゃ生きていけない事もあるのだろう。それでお互い反目する。

 

「それを馬鹿な顔して見てたんですね。そうしてその綱渡りの男が降りて来た時に羽つけているんですね、その綱渡りの男が。「あたいね、主人いるんだけどね、いつも馬鹿にされて何の役にも立たないの。あたいはね、本当に役に立たないな。」と言った時にその綱渡りの男が背中に羽つけているんですね。それがね「誰だって誰だって役にたつんだよ。」傍の石ころ取ってきて「この石ころだって役に立つんだよ。」そうして自分の持っているラッパでジェルソミーナに歌を教えたんですね。メロディを。それでジェルソミーナは喜んでそのラッパを吹いたんです。」Wiki

解説:淀川長治

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「世の中のすべては何かの役に立っている。それはさまだけがご存知だ。ジェルソミーナもザンパノの役に立っているからこそ連れ戻されたんだ」Wiki

 

残念ながら、強者は弱者が自分に役に立つと分かった時は手遅れなのだ。神様は何度もシグナルを出しているというのに。

 

○この映画が多くの人に受け入れられるのは、ロードムービーだからだろう。そしてジェルソミーナの演技であろう。こんなヒロインが可哀想な映画は、今日までいくらもあった事だろう。ただ、ロードムービーだから、別れたらそこまでだ…(死に際ではない)を表現出来たのだろう。衰え死にゆく姿を見ていないから。イタリア🇮🇹は、敗戦国だから。