migihanshin’s blog

半身不随だけれど 明るく しぶとく 生きていこう!

飢餓海峡 1965年 日本東映

飢餓海峡 1965年 日本🇯🇵東映

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あらすじ

戦後まだ間もない昭和22年、北海道岩幌町の質店強盗が押し入って大金を強奪したうえ、一家を惨殺し、証拠隠滅のため火を放つ事件が発生する。火は市街に延焼し、結果的に街の大半を焼き尽くす大火となった。その夜、北海道地方を襲った猛烈な台風により、青函連絡船層雲丸が転覆して多数の死傷者が出る。翌日から現場で遺体収容に従事した函館警察は、連絡船の乗船名簿と該当しない、身元不明の2遺体を発見する。(このあたりは洞爺丸事故や北海道の岩内大火を題材にして着想されている)。

函館署の弓坂刑事は、身元不明の2遺体が質店襲撃犯3人の内の2人であり、強奪した金をめぐる仲間割れで殺されたと推測する。同じ頃、青森県大湊(現:むつ市)の娼婦・杉戸八重は、一夜を共にした犬飼と名乗る見知らぬ客から、思いがけない大金を渡される。悲惨な境涯から抜け出したいと願っていながらも、現実に押しつぶされかけていた八重に、その大金は希望を与えてくれるものだった。その後、犬飼を追跡する弓坂刑事が大湊に現れて八重を尋問するが、八重は犬飼をかばって何も話さなかった。八重は借金を清算して足を洗い東京に出るが、犬飼の恩を忘れることはなく、金を包んであった新聞と、犬飼が使った安全カミソリ(映画版では犬飼の爪)を肌身はなさず持っていた。…」Wiki

 

○所感

最近注目している左幸子(杉戸八重)である。ちょっと太めの女性。この時代を代表する様な一見して地味な存在感のなさ。だが、実は映画の最も重要なポイントを押さえているのが、彼女である。前回見た(遠い一本の道)では、監督もしていた。

この作品では、特に彼女の性欲の発現が独特であり、彼女が売春婦であると言う仕事の内容から、バス🚌で乗り合ううちから、犬飼に興味を持ち、握り飯を食べさせ、町の置屋では犬飼を部屋に連れ混んでしまう大胆さ。しかも、その一つ一つが、抑制されているだけに、想像を絶する深い欲望を感じさせる。例えば、犬飼が使ったであろう(爪切り)安全カミソリを、自らの肌に当てただけで、彼女はエクスタシィに達してしまう。凄まじい演技?だ。本当にこの人は達しているのかも知れない。この事件は、結局のところ全部の謎が明かにされず、疑問を観客に投げつけるが、左幸子の手のうちで、観客は踊らされた様な気持ちになり、尚且つ左幸子への愛着さえ湧くのだから堪らない。

この映画の良さは、左幸子の情念と、三國のいい意味での人間のスケールの小ささと言う絡み。そして、伴淳と高倉と言う、別の国の人種の様な刑事二人と言うキャステイングである。それだけに、映画の終わり方が、ちょっと寂しいので、トマトを減らしてしまった。あれしか、終わり方はなかったのか?

 

○監督:内田吐夢

 

○出演

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樽見京一郎/犬飼多吉:三國連太郎

三國の何が好きと言って、強い男の弱さである。優しさではなく、収集のつかないところまで行ってしまう様な弱さだ。ここでも、そうゆうところを杉戸に入り込まれた。

 

○杉戸八重:左幸子

上記にも書いたとおりである。彼女は、最初から犬飼が彼女に着いて来ると分かっていた。そして犬飼は本当についてきた。そして、大金を置いて行った。彼女としては、「もう一度逢いたい」と言う一心だ。挨拶だけなんて事はないだろう。でも、犬飼は考えすぎた。杉戸に自分の秘密が暴かれると思ってしまった。杉戸に先回りして考えてしまった。ただいずれにせよ、一緒になっても長くいれる事はない気もする。

 

○弓坂吉太郎刑事・元刑事:伴淳三郎

コメディアンが、俳優になると言うのは、随分昔からあるんだなと思う。不思議なキャスティング、コントラストを表現するのに、重要な役割をする。映画と言う沢山の太い柱の中で、その自由な動きはガッチリと隙間を埋めているような気もする。だがそれは映画と言うシステムがはっきりしていた上での話だ。いつしか、コメディアンが、映画を監督する様になって、それが漫才になって、お笑いになって、あの日に帰れなくなってしまった。

 

○味村時雄刑事:高倉健

健さんの名前の設定が凄い。味村時雄、どうゆう言われの名前なのだろう。健さんが、若々しい。

 

○杉戸長左衛門:加藤嘉

杉戸八重のお父さん役。白黒の中に、目と口がくっきりと浮かび上がる。

 

○総括

この映画のラストがどうにも物足らず、であった。配役も完璧、カメラワークもブレ無く、飢餓海峡の最初のロゴテロップから良かった。何かあるべき物が無いのだろう。最初の殺人と、後半の殺人は、誰も信じないが別物だと主人公も言う。多分、そのとおりではないか?だからこそ、何処か中途半端なのだ。いや、或いはそう思わせようと画策しすぎ上手く行かなかったのかもしれない。それによって、この映画の男の登場人物のエネルギーが中途半端になり、杉戸八重のエネルギーだけが顕著になる。彼女の勝利なのだろう。以下に東映105って何か調べてみた。ソラリゼーションと言うらしい。

 

「現像時に、露光をある程度過多にすることにより、モノクロの写真作品の白と黒が反転する現象。意図的に行われ、その結果、白黒が(部分的に)反転した作品のこともソラリゼーションと呼ぶ。

マン・レイが写真の現像中に、助手であり愛人だったリー・ミラーが現像をしていた部屋のドアを誤って開けてしまったが、その結果生じたものを、マン・レイは「失敗作」とは考えず1つの効果として評価した、ということをその始まりとする説もある。」Wiki

 

合掌